自分古文書(16)遠江三十三観音巡礼(20)

 
正林寺門前 

2026.1.31 

観音巡礼が、再開されたのは前回から10ヶ月後のことであった。理由は本文に記している。ともあれ9回目の巡礼の記録を載せよう。  

巡礼団無常の此岸で巡礼を再開する  遠江三十三観音巡礼⑨

 第二十九番 国源山正林寺 ~ 第三十一番 紅梅山菊水寺

日 時  平成六年十月三十日(日) 天候 曇りのち、時々晴れ

天気がはっきりしないのは南方海上の台風の影響らしい。前回の巡礼の直後、鈴さんに娘さんの急逝という不幸があって、10ヶ月という長いブランクになった。この間に、鈴さんは定年を迎え退職された。そして、今回、ようやく再開に至った。巡礼もあと二回で満願となる。

昨日、長島ジャイアンツが西武を破り日本一となった。前評判では西武が断然有利で、第一戦は大勝した西武だったのに、一寸先は闇が世の常である。明日あることを当てにせず、今日歩くことで心の安らぎを得られれば、信仰薄き我ら巡礼団にとって、それが最大の御利益である。ともあれ今日も元気に漫遊巡礼が続く。

【歩程】第二十九番‐正林寺へ、南へ10.4キロ

菊川の町を通り過ぎ、東名のインターの先で左へ折れる。菊川を渡った所に「菊川文化会館アエル」の大きな建物が見え、その前の広場で産業祭が準備されていた。巡礼中の我らは世事には係わることなく先を急いだ。

40分歩いて最初の休憩を取る。臼さんは雉打ちに行く。歩き始めると腸の調子がよくなるためか、臼さんの恒例行事である。横地城跡はここから2.5キロ行った山の上にある。時間があれば行ってみたい場所である。

丹野川は奥の丹野池を源にしている。この辺りでは有名な大きな溜池である。西側の山には「善勝寺の楠」と呼ばれる巨木がある。山にそれらしき樹相が見える。いずれそこへも来ることになる。橋を渡ったところで休憩を取り蜜柑を食べた。ここまで来れば正林寺もそれほど遠くない。かなりの歩きを覚悟していた割にははかどった。

丹野の丹は赤、あるいは辰砂と言う硫化水銀で、昔は朱色の塗料に使われていた。この先に「赤土」や「赤土原」の地名もあり、昔は辰砂を産したのかもしれない。調査してみたい。

前の坂道を「塩買坂」というと案内板にあった。正林寺は今川義元の祖父の義忠の終焉の地だといい、今川氏の菩提寺にもなっている古刹である。義忠縁の句が一句書かれていた。

青葉蔭 眠る武将の 墓楚々と   実成

木立の中を行くと、田舎の旧家の門のような山門があり、正面に銅葺きの正林寺本堂があった。左右の銅製の鴟尾(しび)が角のように高い。観音堂は左手にあり、本堂とは渡り橋で繋がっていた。側に繋がれた白い犬に、愛犬家の和さんが早速手を出した。人なつっこい犬である。

国源山正林寺内磯部山 

第二十九番 曹洞宗 国源山(こくげんざん)正林寺内(しょうりんじない)

                      磯部山(いそべやま)

      はるばると のぼりて見れば 磯部山 小松かき分け 出づる月影

【本尊】聖観世音菩薩   【所在地】小笠町高橋

ご朱印を求めに入った庫裏の正面に衝立があった。その板に描かれた絵は昔の正林寺だという。色褪せたので作者に手直しを頼もうと思ううちに、画家が亡くなってそのままになってしまったと、大黒が語る。上手い絵かどうか知らないけれども、何やら懐かしさを感じさせる板絵であった。

今川義忠の墓があるというので探す。一般の墓地の中に小さな祠があり、中に小さな五輪の塔が安置されていた。義忠公がこの地で没したのは1476年であると説明板にあった。

(9日目続く)

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