自分古文書(16)遠江三十三観音巡礼(15)

粟ヶ岳を望む 

2026.1. 18

観音巡礼は、前回からわずか二日後に実施した。7回目の巡礼の記録である。  

巡礼団日差しに背を焼き粟ヶ岳に登る  遠江三十三観音巡礼⑦

 第二十二番 天王山観泉寺 ~ 第二十四番 岩崎山観音寺

 日 時  平成五年九月二十五日(土) 天候 曇りのち、晴れ時々曇り

曇っているが、一昨日と打って変わって、良いお天気になりそうである。前回からわずか40時間しか経っていないが、前回は雨で無理をしなかったため、体に痛い所はない。濡れた靴が乾かず、皆んな靴が変わっている。僕は靴を洗わずそのまま乾して同じ靴で来た。

掛川駅から今日も貸切りと思っていた所、南米系の外国人が乗ってきた。制服姿でヤマハに行くようだ。不自由な言葉で、バスの運転手にこのバスで良いのかと聞いている。さらに出発間際に若い女性が駆け込んで乗る。

日坂でバスを下りて、地図を見て今日の予定を話す。東山へはバス道を避け、古くからの山越えの道を選ぶ。さらに粟ヶ岳に登り、安田から大代へ、昔の道に出来るだけ忠実に下って行きたいと。

取りつきの道でいきなり迷うが、地図通りにやがて茶畑の広がる山の上に出る。縦横に走る高圧線で、地図上の現在地が判り、正しい道を登っている事が確認出来た。日が差し始め、暑くなりそうである。

【歩程】第二十二番‐観泉寺へ、北へ5.1キロ

農道の途中に地蔵尊を祀った祠があった。農道として整備したのは最近かも知れないけれども、古くから使われた生活道だったに違いない。農道の行き着く先の山麓に、御林の茶工場の青い屋根が見える。

御林茶工場前で顔見知りの組合員に会う。四茶が今日から始まるので準備をしている。10日位の予定だが、茶価が安ければ切り上げるという。

道路が交差する小さな峠を越し、山の中腹を平坦に弧状に続く旧道を行く。気持の良い道で人家も所々ある。こんな所に住んで早起きし、朝もやに煙る景色を朝一番の新鮮な目に映せたら、最高にハッピーな気分になるだろうと思う。

下り始めて富士東茶農協が見えてきた頃、人家の点在する北側の谷間の一段高い小山に、集落のシンボルのように観泉寺の新しい甍が見えてきた。

観泉寺本堂の外観は完成しているように見えたが、まだ内装の工事中だった。ちょうど本堂脇からこの寺の住職の尼僧が出てきた。テレビに出る霊媒師で涙もろい前田和慧尼に似ている。「そのまま上がってくれ」と工事中の本堂を土足で横切って、本堂奥の位牌堂まで案内される。本尊も観音像もこの位牌堂に仮安置されていた。ご朱印を貰う間に色々な話を聞く。

工事は大東町の宮大工が来ていて、工期が大幅に遅れ、来春に落慶出来ればという。傍らに臼杵の摩崖仏の仏頭があった。住職が臼杵の摩崖仏が好きだと聞いて、檀家がわざわざ取り寄せてくれた、西瓜大の焼物のレプリカである。木製の台も元高校の先生が作ってくれたのだという。

我々が金谷から来たと聞いて、古い本堂を取り壊した時の話におよんだ。本尊を収めていた宮殿(ぐうでん)から制作者を書きつけた板が出てきたのだが、そこには「元禄二年四月二八日 志戸呂庄 藤原朝臣鈴木氏重久作」とあったので、金谷にその子孫がいないか調べている所なのだという。住職はその板切れや、他にも室町時代に本堂を創建した頃の寄進者を書いた板などを出して見せてくれた。

昔からこの東山地区は掛川よりも金谷との交流が多かった。地理的にも一山越せばすぐに金谷町大代である。歩くしか交通手段のなかった昔は金谷へ出る方がはるかに近かった。観泉寺は元々国道端の常現寺の子寺だったが、明治になって檀家の人達が、常現寺から買い取って独立したお寺になった。現在は東山地区を中心に檀家が90軒余りあるという。

天王山観泉寺 
 
第二十二番 曹洞宗 天王山(てんのうざん)観泉寺(かんせんじ)
                    (長福寺)(ちょうふくじ)

     おしなべて 仏あらたと 聞く時は もと木うら木も 南無観世音

【本尊】千手千眼観世音菩薩   【所在地】掛川市東山寺の段 

(7日目続く)

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