自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(1)
2026.2.20
遠江三十三観音を終えて、次は東海道を歩こうとの約束通り、一ヶ月後、まだ松が明けないうちに、東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)を計画した。今から30年前の記録である。一緒に歩いた仲間たち(いずれも職場の先輩)は皆んなあちらの世界に旅立ってしまった。今やこの記録だけが、当時の仲間たちの息遣いが知れるものになってしまった。
それでは始めよう。
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東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)
西暦2001年には東海道に宿駅制度が出来てから400年を迎える。最近、東海道五十三次が見直され、街道筋に諸施設が整備され、各種イベントが催されて歩く人も多いという。特に静岡県内では、共通サイン(東海道の道標)が設置され、宿場ごとにスタンプが置かれていて、歩く励みになる。我らも東海道五十三次を歩こうと計画する。しかし、いきなり日本橋からでは辛いから、手始めにまず静岡県を歩こうと思う。静岡県には何といっても五十三次の内二十二宿がある。すでに図書館で旧東海道の道筋を調べ、国土地理院発行の二万五千分の一地図に落としてある。さて、いかなる弥次喜多道中となりますやら。
松の内、箱根旧街道石畳をひた下る
箱根関所 → 三島宿
日時 平成7年1月5日(木) 箱根、曇り、のち晴れ風寒し
スタートは県境(箱根峠)にしようとも思ったが、いずれ後日、日本橋から歩く際のゴールが箱根峠では交通の便が悪いと考えて、箱根関所とした。出発は一月の松の内とする。一昨夜、和さんから、明日は雨の予報だから明後日に延期したいと電話があった。雨の出発では辛い気持は同じである。一も二も無く賛成する。案の定、昨日は今の季節には珍しく大雨であった。明けて今朝、低気圧が東へ抜けて季節風が吹き出し、暖かな正月の天気から、一転して、晴天ながら寒い一日になりそうであった。まだ正月気分の抜けない三島駅から箱根登山バスに乗る。切符売り場のおばさんは、関所までと言うと、歩くなら終点の元箱根まで行けば、箱根杉並木も見られるから、と勧めた。しかし、スタートは関所からの方がきりがよい。
箱根に登るにつれて曇ってしまった。風も冷たく雨にならなければ良いがと思う天候である。芦ノ湖の向こうに見えるはずの富士山も、垂れ込めた雲で見えない。
箱根関所には入場せず、外から眺めるだけにして、ここを今回の出発点とする。風が寒い。午前10時20分、記念写真を撮ってスタートを切った。
いきなり誰ともなく小腹がすいたと言葉が出て、「美濃屋」という蕎麦屋で腹ごしらえをした。客はおらず、ストーブの側に陣取って山かけ蕎麦を頼む。早すぎる昼食に先が思いやられる。しかし、ここでの食事が後でものをいう。
箱根の町を過ぎて、いよいよ箱根旧街道の石畳が始まる。入口に芦川の石仏石塔群が安置されていた。車道は箱根峠に向かって大きく蛇行して上るが、石畳の旧街道は真っ直ぐに、向坂、挾石坂と名前を変えながら登って行く。石畳は丸石の多い金谷の石畳と違って、割った石が多い。この辺りでは河原から石を上げるわけにいかないから、山から切り出したものと推量される。
ゴルフ場への取付道路を行くと、再び旧街道が始まる。入口に「兜石」の道しるべが出来ていた。「歴史の道『東海道』の道しるべ」として共通サインが設置されつつあるという。「兜石」のサインがこの旅で最初のものである。
前の宿場とこの先の宿場までの距離が記されていた。
箱根関所三キロ →【三島市 兜石】→ 三島宿 一一キロ
このあとも要所々々に建てられて、旧東海道の道しるべの役割をはたしていた。かぶと石はここから少し下った所にあった。
(つづく)
個人的な思い出に、皆さんを付き合わせてしまって申し訳ないが、話題のないときの埋め草で、続けて行きます。何回続くのか、おそらく遠江三十三観音よりは長くなると思います。
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