自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(3)
2026.2.22
今日、大井河源記(前編・後編)解読版が仕上がった。少しづつプリントして、関係の皆さんに配ろうと思う。これで、歳代記(二分冊)、大地震の記、に続いて、三本目となる。
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東海道ウォーク一日目、一行はまだ箱根から三島宿への途中だ。
車道を少し歩いた所に、「菊池千本槍の碑」があった。御醍醐天皇の頃、菊池氏が竹竿に短刀を括り着けて槍を作り戦いに望んだ。それまで槍という武具は無かったというが、本当なのだろうか。
再び旧街道を下り車道に出た所に、大きな芭蕉の句碑があった。
霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ 面白き 芭蕉
芭蕉翁、富士山が見えず負け惜しみの一句である。今日は句碑の背後に富士山が見えた。再び箱根竹の旧街道に入った所に、鎖に囲まれた石柱の「明治天皇休息碑』があった。恐れ多くも、その傍らで和さんは小用を足した。他の三人は少し離れた街道脇で連れションに及んだ。それより「上長坂」と呼ばれる長い下りの石畳の旧街道を下った。
旧街道が集落と車道に出合う手前の人家の前に、「笹原一里塚」があった。道路より少し高い所に丸い塚がしっかり残っていた。塚の上の樹木は榎であろうか。傍らに箱根八里記念碑「笹原一里塚」の文学碑があった。
森の谺を背に此の径をゆく 次なる道に出会うため 大岡信
車道を突っ切って人家の間の舗装道路を行く。この辺りを「こわめし坂」というようだ。道路工事中で、削岩機がコンクリートを割るすぐ側を通る。こわめし坂から車道に出たあたりで見る富士山は、左手の愛鷹山系と並んで面白く、皆んなカメラを取り出しシャッターを切った。「松雲寺」は寺本陣と呼ばれ、かつては人を泊めた。ここにも明治天皇の足跡が碑として残っていた。
すでに午後二時を回り、箱根の山かけ蕎麦もすっかり消化された。このあと空腹を抱えて、食事処を探しながら歩くことになった。あの山かけ蕎麦がなかったら、もっと辛いものになっていただろう。
車道から外れ、学校のそばを行く。学校のある辺り、昔は法善寺という寺があり栄えていた。寺の中に「七面堂」というお堂もあった。今はただ石碑が残っているだけである。それより下る急坂の歩道を「題目坂」といい、登ってくる旅人は法善寺を目指して、お題目を唱えながら登って来たのであろう。
(一日目まだ続く)
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