自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(21)

 
鏡池堂外、六地蔵(ネットより借用)
手前が新しい六地蔵
背後に古い六地蔵が残る

2026.3.23

明石のまたいとこT氏から、名物「ちりめん山椒」が送られてきて、お礼が遅くなったが、今朝電話した。確か昔、歴史好きだったのを思い出して、古文書の解読版を読んでみる気があるか聞いて、読んでみたいとの返事に、「歳代記」、「大井源流記」、「安政地震」の記録2題を送ることにした。日本のあちこちに広がってゆくのは楽しい。

東海道ウォークは七日目を続ける。

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東海道は再度国道の南側を沿ったり離れたりと、西へ進む。『田中藩領傍示杭蹟』の標示杭があった。傍示杭蹟はさらに先にもあった。どの傍示杭であるかは不明だが、田中城跡の学校の庭に移されている。

お堂があって老人が集まっていた。角地にお地蔵さんが何体かあり、そのうち新しく出来たと思われる、一面に六つの小さな像を浮き彫りにした地蔵像は珍しいと思った。ここも駿河国百地蔵に入っていた。六地蔵の先には『古東海道蹟』の標示杭や松並木が残っていた。

『瀬戸の染飯』の版木を保存している石野家を示す標示杭がある。そばに千貫堤の跡が残るというが、気付かずに通り過ぎた。往時、大井川がこの辺りまで流れていて、度々洪水を引き起こした。田中藩ではそれを防ぐため堤を築いた。その労銀が一千貫も掛かったのだという。

その先に人材育成のため作られた『育生舎跡』の標示杭や二つ目の『田中藩領傍示杭蹟』の標示杭があった。

外注工場の『松浦製作所』前を通る。臼さんは検査をしていた関係で、顔見知りの青年がいて、立ち話をして遅れた。立派な松並木が断続的に続く。近くの町工場の従業員が昼休みを終えて戻って来るのを遠目に見ながら、休憩を取る。涼しいとはいえ七月である。出る汗に少しの風がありがたい。休憩を終えて歩き始めてすぐの松並木の中に、上青島の一里塚跡のサインがあった。この辺りを『一里山』という。

藤枝宿 4.5km 【上青島の一里塚跡】 → 島田宿 3.2km

国道一号線に出て歩く。六合駅前の旧道との別れ道に阿知ヶ谷のサインがあった。

藤枝宿 5.4km 【島田市 阿知ヶ谷】 → 島田宿 1km

道悦島のサインは国道端の細い緑地にあって、写真を撮るに国道へ出なければならず、大変危険な状況になった。サインを写真に入れたい人もいることを考慮に入れて、サインの設置する位置を考えて貰いたいものだと思った。

藤枝宿 6km 【島田市 道悦島】 → 島田宿 0.4km

そばに『昭和天皇御巡察(S21.6.18)丸三製茶工場』の記念石柱があった。近年に建てたもののようだが、僕が生まれてすぐの時代にあった御巡察である。感慨深いものがある。

栃山川を渡ると間もなく、島田の市街へ入る道を分ける。その角に島田宿の最初のサインがあった。

藤枝宿 6.6km 【島田宿】 → 金谷宿 3.6km

日差しが戻って暑い。掻き氷が食べたいと探しながら歩く。島田信用金庫の7丁目支店前に、島田宿の二つ目のサインがある。

藤枝宿 7.6km 【島田宿】 → 金谷宿 2.6km

「ジャスコで掻き氷を」と考えていたところ、お休みであった。ジャスコ前には『刀匠島田顕彰碑』がある。刀身を浮き彫りにした碑であることは承知していたが、しっかりと見たのは初めてである。かつて島田は『島田鍛冶』と呼ばれた刀工がいたことで有名で、戦国時代から五条義助、その弟の助宗、その一派の広助の三派で技を競い合っていた。江戸時代になって次第に駿府へ移り住んで、島田の刀鍛冶は廃れてしまったのだそうだ。

(東海道ウォーク七日目、続く)

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