自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(24)
2026.3.26
東海道ウォーク八日目を続ける。
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菊川の宿から小夜の中山に登る坂を青木坂という。登り口に十メートルほど石畳が作られている。鈴さんは膝を傷めて、今日はいつもの勢いがない。本日最大の登りの青木坂はこたえるようだ。
青木坂を登りきった所に久延寺がある。久延寺の真向かいに『接待茶屋跡』の石碑が説明板付で設置されていた。芭蕉が「馬に寝て残夢月遠し茶の烟」と詠んだのは、この茶屋の煙だったとの説もある。久延寺の塀から外へ太い枝を伸ばしていたクスノキは、以前見たとき枯れそうに見えていた。しかし、大きな枝を落とされてこじんまりとはなったものの、まだ健在であった。ところが境内の『夜泣石』の傍らにあった、枝振りの良い家康お手植えの五葉松は、松食い虫のせいか旱魃のためか、樹勢が弱って、幹には栄養分の注入努力の跡も見られたけれども、あえなく立ち枯れていた。四百年近い樹齢の木が我々の時代に枯れてしまうとは、いかにも残念である。
久延寺隣の峠の茶屋『扇屋』には、名物おばあさんが店番をしていた。年は九十八歳で耳も良く記憶力も良い。茶店は三百二十四、五年経つと話してくれ、遠州七不思議のことを書いた本をしきりに勧める。名物子育て飴を皆んな一本づつ頼む。瓶から固まりをつまみ出して割り箸に巻きつける。褐色の半透明の飴はわずかに甘いが、口にくちゃくちゃ付いて始末が悪かった。あとで鈴さんは洗いもしない手で飴をつかみ出したことをユーモラスに指摘した。『東海道』スタンプ『日坂宿』を突く。
金谷宿 4.6km →【小夜の中山 白山神社】 → 日坂宿 1.4km
長丸い石に『馬頭観世音』と書かれた立派な石碑があった。妊婦の墓は、身の不幸に子供を生んだ後、自害して果てた小石姫の墓で、茶畑の中にあった。さらにその向かいの小公園には、芭蕉の涼み松の句碑があった。碑の回りに植えられた三本の若松のうち二本がこの夏の暑さにやられて枯れていた。
命なり わずかの笠の 下涼み 芭蕉
かって『夜泣石』は安藤広重の版画のようにこの街道の真ん中に道を塞ぐようにあったのだが、明治天皇の行幸のおり、道端に避けられ、さらにはるばる東京に運ばれ博覧会に出品された。ところが博覧会の後『夜泣石』はこの地までは戻されず、国道一号線の中山トンネルの東口まで来たところで放置され、今日ではその地へ祀られている。なお、久延寺の『夜泣石』は代わり安置されたものである。この地には『夜泣石跡の碑』と広重の東海道五十三次『小夜の中山峠』の絵碑がある。絵碑と現地を較べてみると坂の形や背後の山などデフォルメされた部分を割り引くとこの風景を実際に目にしながら書いたに違いないと思わせるものがあった。
『小夜の中山峠』絵碑
沓掛の集落を下る。途中彼岸花が密集して咲いている斜面があった。順路に彼岸花と萩の花は所々に見られた。バイパス工事中の国道一号線に降りる直前に、広重の狂歌入東海道五十三次『日坂峠』の絵碑があった。
金谷宿 6.4km →【日坂宿 本陣跡】 → 掛川宿 7.3km
日坂宿で唯一、昔の旅籠屋の姿を残した『川坂屋』の建物が町中にあった。格子窓など往時のままであるが、今は人が住んでいないように見えた。
『日坂村、東山口村村界の碑』という、珍しい村界を示す碑が、事任八幡宮に出る直前に、日坂宿宿場口のサインと並ぶように設置されていた。
金谷宿 7.1km →【日坂宿 宿場口】 → 掛川宿 6.7km
(東海道ウォーク八日目、つづく)
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