自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(26)
2026.4.1
4月1日、かつては、今日はエイプリルフールの日、しかし誰も関心を寄せない。そのはずで、トランプが米大統領になってから、毎日がエイプリルフールになったようなものだからだ。国際政治の場は嘘で満ちている。どこまで続くことやら‥‥‥‥
日をどこで間違えたのか、明日は金曜日と思い込んで、駿河古文書会の準備を朝から仕上げた。終わってから、一日間違っていることに気づき、ぽっかり穴が空いた気分である。こんな思い込みは、これからだんだん増えるのかもしれない。
東海道ウォークも九日目に入り、遠州を歩く。
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旧見付小学校は開校120年の式典直後だった
掛川宿 → 袋井宿 → 見付宿 → 豊田町
日時 平成7年10年14日(土) 快晴
十一日夕から十二日にかけて、九重連山の硫黄山が257年振りに噴火した。マグマが動いた本格的な火山ではなくて、水蒸気爆発による噴煙だというが、阪神大震災に始まり、最近は伊東や神津島の群発地震も発生しており、日本の地下は実に騒々しい。九重山も百名山に入り、大変魅力的な山だから、雲仙のようにはなってもらいたくない。東海道中も静岡編のゴールが見えて来た。今回は、川さんをゲストに迎え、どんな道中になるやら。
この夏の暑さでカメムシが大発生し、家の蜜柑や柿は全滅であった。手入れの良い川さんや鈴さんの畑でもやられているというから、少し安心した。秋雨前線が南海上に消えてから、また天候が安定する季節になった。今日は特に良いお天気で日差しが暑くなりそうである。
川さんは千頭から御前崎まで3日間で歩いたという。最後は金谷から御前崎まで、37キロメートルを一気に歩いたというから、我らの一日20キロメートルのだらけた歩きでは、気に入らないかもしれない。
我らの一日一日の歩きは、あくまでも毛色の変わった行楽である。決して何かに対する挑戦ではない。しかしそれが十日、二十日と重なることで、一つの事が自然に達成される。達成感の味わえる行楽が我々の旅の目的なのだ。無理をしては長続きしないし、歩く事が辛くなってはお終いである。一番弱い所へレベルを合わせて、皆んなでゴールを迎えたい。
前回の最終地点の連雀通り四つ角で、本日のスタートを切る。西へ少し歩くと円満寺富貴門に至る。この門はかって掛川城の城門の一つが移築されたものだという。柱の風化がかなり進んでいて、楔も抜けてそろそろ修復工事が必要なようだ。
中町通りから北へ入った所に句碑があった。向かいの八百屋のおかみさんが出て来て説明してくれた。この辺りも昭和19年の震災でかなりやられたと聞く。そばの秋葉灯籠も倒れて修復された。門柱は今も少し傾いている。嵐牛は日坂に生まれ、掛川藩の俳句の指南役をしていたという。
旧東海道から50メートルほど東へ入った公民館のそばに、『十九首塚』があった。平将門の家臣19人の首が京に持ち帰られる途中、この逆川のほとりで首実験が済み、この地に埋葬された。その首塚なのである。ところが、将門の祟りでもなかろうに、隣の公民館がこの9日の祭りに火事で焼けてしまった。焼けた建物がそのまま片付けられないで放置されていた。
国道一号線に出てしばらく歩き、森町への街道を分岐する大池橋の袂に、大池橋サインがあった。旧東海道はこれより一号線の南側を付かず離れず続く。
掛川宿 1.4km →【掛川市 大池橋】 → 袋井宿 7.7km
四つ角に大池一里塚のサインがある。角のお寺の本堂前で休憩を取っていると、お寺の奥さんが顔を出して、目が合った。ガラス戸越しに軽く会釈すると、奥へ入って行かれた。間もなく出て来て、美味しいお茶を勧めてくれる。昨日お祭りで幟は片づけたが、竿は明日の休みに皆んなで片づけてくれると言い訳をいう。境内の太い銀杏は、秋にはギンナンを沢山収穫していたのだが、道路拡幅工事で境内が狭まり、東側に伸びた太い根が切られてしまった。ところが台風で切られた反対側に倒れてしまった。枝をこじんまりと刈り揃え植え替えて貰ったが、漸く去年からギンナンを付け始めた。もう大丈夫だと思う。問わず語りにそんな話をする。帰りに寺名を見ると一乗山蓮祐寺という日蓮宗のお寺であった。
掛川宿 2.4km →【掛川市 大池一里塚】 → 袋井宿 6.7km
(東海道ウォーク九日目、つづく)
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