自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(32)

史跡見付石垣
 

2026.4.13

朝から金曜日の駿河古文書会の予習をする。課題がBに10ページもある。いつもの倍の量だ。一通り読むに、一日では終わらず明日もう一日かかる。担当は大変だ。

東海道ウォークも11日目、最終日である。

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「地獄に仏」空腹の潮見坂を一本のバナナで登る

舞坂宿 → 新居宿 → 白須賀宿 → 二川宿

日時 平成7年11年11日(土) 快晴のち一時曇り午後晴れ、空っ風強し

「東海道五十三次ウォーク(静岡編)」も今回が最後となった。番外として姫街道を残すから、本当の最後ではないが、今年の正月箱根の関所をスタートして、随分遠くまで来たものだ。今日は東海道のもう一つの関所、新居の関所を通って、愛知県との県境を抜け、出来れば二川駅まで足を延ばしたい。

昨日和さんより今朝の天候を心配する電話があったが、天候については全く心配していなかった。案の定、雨を降らせた低気圧は去って快晴となり、逆に空っ風が心配になった。

舞坂駅から南へ歩き、松並木まで戻る。舞坂東海道松並木は700メートルの間に300本の松が、道の両側に並んで残っている。松並木としては、三島の初音ヶ原の松並木に並ぶ立派なものである。所々に『子の刻』から始まる昔の時刻表示が刻まれた、十二支を型取った石碑が、設置されていた。

宿場の東入口の道の両側に、『史跡見付石垣』が残っている。石垣に使用されている薄い黄土色の岩は、浜名湖で良く見る岩である。通りがかりの小父さんが、弁天島の住人だが歩け歩け運動で歩いている、と言って追い越して行った。

少し行くと舞坂一里塚の石碑と新町常夜燈が並んでいた。ここの常夜燈の三面には秋葉大権現・津島牛頭(ごず)天王・両皇太神宮と刻まれていた。さらに先に同じ形式の仲町常夜燈があった。

模様の美しい石に刻まれた『本陣跡』の標識の後、渡船場手前の角に、西町常夜燈があった。側には舞坂宿のサインもあった。

        浜松宿 11.7km 【舞坂宿】 新居宿 5km

渡船場のことを雁木がんげという。南から庶民用の南雁木・武家用の中雁木・諸侯用の北雁木と並んでいた。雁木は石垣で固められていたが、北雁木に当時の石垣の一部が残っている。

道路に戻ると小公園に『那須田又七顕彰碑』がある。江戸時代、舞坂駅(宿)の駅長を勤めた又七は、駅(宿)務の立て直しを行うとともに、海苔の栽培を広めるなど地元に大変功績があった。

東海道スタンプ「松並木」

役場の南側の舞坂町町民センターで『東海道』スタンプ『舞坂宿』を押す。川さんもスタンプ帳を購入し、スタンプを初めて押す。川さんはこの後、我々がたどった道を別途にスタンプを押して回る予定だという。町民センターでは午後から町民文化祭があり、盆栽や菊などがすでに飾られていたので、一足お先に見学させてもらう。

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