自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(33)
午後、金谷郷土史研究会の総会へ出席する。10人ほどの出席で、このところにぎやかになった。女性も二人見える。総会後、朝鮮通信使のビデオを見る。
先日、高校の同窓会から、傘寿同窓会と銘打った最後の同窓会の案内が来た。親しい友人たちの多くが施設や鬼籍に入ってしまって、同窓会もそれほど食指が動かない。同窓生より今の受講生の方が大切で、同窓会当日の6月15日前後はイベントで埋まっている。故郷は遠くて何日か費やすことになるが、それは無理かもしれない。
そんなことを考えていると、朝寝坊している所へ同窓会主催者から電話が来た。お遍路の本を同窓会に提供してもらえないかとの話。もう、残部がないからと断った。講座の受講生に配ってきたのだが、残部がなくなり、今年からは進呈を辞めたところであった。
東海道ウォーク11日目の続きを載せる。
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旧東海道は渡船場より船の旅となる。この航路は棒杭を打ち蛇籠を積んで船道が造られていたため、安全にのんびりと船旅が出来たという。船道は砂で埋まって来ると時々浚渫され、側の小島に砂を積み上げたのが弁天島の基になったという。橋を渡って弁天島駅に立ち寄り、強くなった風を避けて一休みした。駅スタンプも貰う。
中浜名橋、新弁天、西浜名橋と通って、新居の町に入った。橋には釣をする人が多く見られた。新居町駅にも立ち寄り、駅スタンプを得る。休憩のついでに、自分だけ立ち食いうどんを食べた。後でこの一杯が物を言う。新居町駅を出た所に、山頭火の句がありメモをする。
水のまんなかの道がまっすぐ 山頭火 (浜名街道にて)
この地を鷲掴みにしたような短い言葉に、さすがに山頭火だと思う。
新居関所の入場券の販売窓口の隣で、『東海道』スタンプ『新居宿』を打つ。窓口の人が入場券を売るべく構えるのを感じたが、何度か見学しているので止める。川さんだけが入って一回りしてすぐに出て来た。
舞坂宿 5.3km →【新居宿】 → 白須賀宿 4.5km
八郎兵衛本陣の南隣には、寄馬場跡の石標があった。さらに南へ少し下ると新居一里塚の石標があった。この一里塚には、かっては東に榎、西に松が植えられていたという。
この地方では屋敷の西北隅に『ホウキ』という地の神さまを祀るが、新居では、そこに竹棒に藁をしばってホウキのようにして、二本立てる風習がある。街道が右へ回る角にそれを発見した。すぐ側には棒鼻跡の石標があった。『棒鼻』とは宿場の境目で、土塁などがあった場所である。
(東海道ウォーク十一日目、つづく)
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