自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(番外 姫街道)(2)

一番茶、直前
 花粉症が収まり、久しぶりの散歩で

2026.4.21

一昨日、昨日と立て続けに、長野、東北と大きな地震が起きて、改めて、地震列島を感じる日々である。当地は遠方の地震はほとんど感じることがない。もともと大井川の扇状地が、瀬が変わって出来た土地で、おそらく地下は砂利が幾層にも重なっている土地だから、地震が伝わりにくい地域だと思う。来たる東南海大地震でどうなるかは、神のみぞ知るだが、神様も判断を断るに違いない。

東海道ウォーク(姫街道)1日目の続きである。

*************************************

静大工学部の脇を通り、北へひたすら歩く。左手に航空自衛隊浜松基地を見る辺りの地名を『小豆餅』という。武田軍に追われ敗走する家康がこの地で小豆餅を食べて空腹を癒したという地名の謂われがある。小豆餅本家『あおい』というお菓子屋さんがあった。そろそろ空腹を感じていたため、小豆餅という名前に引かれて立ち寄る。小豆餅は安倍川餅に似たものであった。早速、鈴さんが購入した。

すぐ先に『飛行聯隊前駅跡』の標識があり、臼さんの記憶によると、気賀から鉄道が出ていたが浜松までは通じていなかったと思うという。電車ではなくて蒸気機関車だったようだ。

市野から気賀へ至る道との合流点を三方原追分という。そこにサインがあった。うっかり近くの宿との距離を書き取り忘れたが地図で推量して記入する。

浜松宿 6.5km 【浜松市追分】 → 気賀宿 7.7km

側に『権現様跡』の標識がある。『追分の一里塚』が近くにあると思い、角の交番に入り聞いてみたが知らないとの答えだった。(帰ってから調べた所、追分の一里塚は交差点から市野の方へ少し戻った道路端に現存しているとのことであった)

この交差点より姫街道の松並木が始まる。残っているのは道路の西側だけだが、これより断続的に約3.7キロ続くという。太い松が多い中に、枯れて切られた新しい切り株が何本か見られたのは残念であった。途中の宝くじ売り場で、臼さん、鈴さん、川さんが年末ジャンボ宝くじを買った。聞けば当たる率が大変高いというが?

途中『権七店』という茶店のあった地点に標識がある。この辺りはかっては松並木だけで何もなく、小さな茶店が大変貴重だったのだろうと思う。側に権七商店駐車場の標識があり、店は確認出来なかったが、現代まで続いているのだろう。

空腹を皆んなに訴えて、少し早いが昼食にして貰う。その名も民芸茶屋『姫街道』。和さん、臼さん、川さんは鰻を頼み、鈴さんと二人、カツ重うどんセットを頼む。ウェイトレスが何かの会かと聞く。そういえば途中でもおばさんに同じことをきかれた。カツ重が大変甘辛く、金谷の富士屋のカツ丼を思い出す。一仕切り、昔は忙しかったと昔話に花が咲く。2食分食べた気分で満腹になった。さらにコーヒーがサービスになると聞いたが、セルフサービスで飲んだのは川さんだけであった

鰻とカツではどちらが最後に力を残すか。鰻の方がカツより20円高かったので、この20円の差は大きいなどと話しながら歩く。現金なもので腹が膨らむと力が出て来た。

『東大山の一里塚』は道路の両側に小さな塚が残っている。榎が植えられていたとも言われているが、現在は樹木は植わっていなかった。

『曲り松』は、かっては枝振りのよい樹齢数百年の松があったが、昭和四十八年に枯れてしまった。今は2代目の松が植えられている。今の松にもあまり樹勢はない。かっては各地に名立たる松が沢山あったが、今は枯れてしまったものが多く、後代が植えられているのは良い方で、名前だけしか残っていないものが大半である。先日、吉田町の『田村の松』が枯れて切られたニュースも聞いたばかりである。そばに松島十湖の句碑があった。なお句中の『はし』は端緒の意味の『はし』である。

別るるは また逢うはしよ 月の友    十湖翁

(姫街道1日目つづく)

コメント

このブログの人気の投稿

おたふく風邪と母子手帳/詐欺電話にご注意!

「かさぶた日録」改め「かさぶた残日録」開始

竹下村誌稿の事