自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(28)
2026.4.4
午後、Nさんの事務所で金谷郷土史研究会の今年度活動について打ち合せる。
東海道ウォーク九日目を続けよう。
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大田川を越え、トンボの生息地で全国的に有名な桶ヶ谷沼の南を通って、国道一号線やバイパスなどが狭い幅を複雑に通る『三ヶ野坂』に至る。三ヶ野坂を鎌倉・江戸・明治・大正・昭和・平成及び抜け道の七つ道が、複雑に越えている。それらが『三ヶ野坂の七つ道』として整備されている。
我らはもちろん江戸の道を選んで登る。登り切って少し東に大日堂がある。ここも古戦場で、家康方の本多平八郎がこの高台より武田軍の様子をうかがったといい、『物見の松』もあったというが、見当たらない。先ほど通った木原畷の方面が一望に出来る絶好の物見台である。
磐田市街に入る直前に、阿多古山一里塚がある。「一里塚は階段上」の標識に導かれて登ったところ、階段を上り詰めた愛宕神社の横を抜け、その背後の最高地点に一里塚の石碑があった。かっては両側が沢か何かで、東海道はこの神社の高台を越して、見付宿に入ったのであろう。そこへ幼い子供たちが四、五人、道の無い斜面を登って来た。手にビニール袋を持った女の子に、和さんが「何を探しているの」と聞いたところ、「秋を見つけに来たの」……。
繁華街に入って見付宿のサインをみつけた。このあと、磐田市内には所々に一枚板に書かれた東海道の標識があるだけで、サインが一本もなかった。磐田ではそんな物に金を使わないのだろうか。
袋井宿 6.8km →【磐田市 見付宿】 → 豊田町 3.4km
『美味い物』係の鈴さんの案内で、井口製菓店で遠州見付天神名物『粟餅』を買った。
旧見付小学校では、今日開校百二十年の記念式典があった。受付の女性はようやく片づいたところだと話した。入場は無料で、スリッパに履き変えて上がる。明治八年完成の校舎は当時としては最先端の建築だったのだろう。当初は二階二層の四階建てだったのが、三階を増設して三階二層の五階建てになっている。内部には明治の小学校の教室が再現され、生徒の人形が置かれている中に、本物の小学生が何人か坐って、備付けの感想記録ノートを書いていて、どきっとさせられた。
旧見付小学校の裏手には、隣の淡海国玉神社の神官の大久保忠尚が立てた、江戸末期の図書館『磐田文庫』があった。最近、古い材料を最大限に残して修復されて、蔵造りの白壁が鮮やかであった。残念なことに、図書の多くは散逸していると係員が説明してくれた。
旧見付小学校の最上層まで登ってみた。風が爽やかであった。帰り受付で『東海道』スタンプ『見付宿』を押す。通りに出てから、これも鈴さんの案内で『又一きんつば』を買った。
これより北へ道を取ると姫街道に通じる、と看板の出た角を南へ向かう。国道一号線を渡って、公衆トイレに入ると、いきなり磐田市讃歌といった類の歌が始まり、びっくりさせられた。人に反応するのであろう。
国分寺跡は草原状のだだっ広い公園で、街の中央にこれだけの空き地を持っているのは強いと思った。
臼さんや和さんの顔には、今日はここまでにしたいとの思いが見えたが、元気のよい川さんに煽られるように、駅の直前で西へ曲がって豊田町に向かう。磐田市中泉公会堂前に、久し振りに中泉のサインを見つけた。
見付宿 2.5km →【磐田市 中泉】 → 豊田町 0.6km
豊田町には、日本の香料の大部分を製造する『高砂香料』という会社があることから、『香りの町』というキャッチフレーズで、町興しの構想があると最近テレビで見た。その会社の前を通る。
宮之一色一里塚には一里塚の塚山が残っていて、階段で上に登ることが出来た。豊田町駅分岐で今日の歩きを終る。豊田町でもお祭り真っ盛りで、あちこちで屋台のお囃子が聞こえ、屋台も遠くにちらほら見えた。川さんは歩いた後のビール一杯か堪らないと言いつつ歩いていたが、豊田町駅にビールを売っていないと知るや、疲れた足でビールを買いに戻って行った。
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