自分古文書(18)小澤寛峰著「島田市北方の山々」(5)
散歩道のハナビシソウ
2026.5.3
今日は西日本から雨になっている。ゴールデンウィークでお出かけの人たちは大変だ。
「島田市北方の山々」の続きを載せよう。
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今度は頂上付近から、その西南方へと走っている尾根通しを見下ろして、思わず嘆声を放った。その美しさったらない。尾根通しのみが、一本の帯状になった雑木紅葉の巾のある線なのであった。どういう訳で尾根道沿いのみ落葉樹であるのか知らないが、それを上から鳥瞰する様は、何とも綺麗の一語であった。橙がゝった明るい紅葉は艶やかですらあるし、それが蜿蜒と彼方の頂まで続いているのである。自分はしみじみと充足感を覚えずにはいられなかった。願わくば、こういう時間が、終らないでおいてくれと、自ら祈られてしまうものですらあった。
尾根には明瞭に径がついていて今度は楽であった。自分は今、こうして、先程鳥瞰した紅葉のトンネルを潜っている訳であった。何度立ち止った事であろう。何度青空を背負った紅葉を見上げて立ち尽くした事であろう。一に、こゝいらの山紅葉は、一層柔らかさ、優しさが勝っているように思われた。
菩提山(677.3米)の頂には、何か伝説があった。たしか岩の上に祠があって、このほとりの守護神と化したお坊さんが祀られていたように思う。埋もれた地方にも、立派な人がいたものだと感銘した。ここらはハイキングの人らも来るとみえて、そんな形跡があったような記憶である。自分は、もうやがて桧峠で、今迄の紅葉のトンネルも切れてしまう淋しさに、いや/\下るのであった。
桧峠は想像以上に広闊で、明るい所であった。いわゆる物静かな山の峠の心像とは異っていた。山のなだらかなあたりは、開墾されて畠又畠であり、農家が点在していた。自分はそこの小さな社の境内で、日向ぼっこしながら残りの弁当を使った。
自分は出来たら、こゝから南方の尾根を踏んで、千葉山へ迄行ってみたかった。しかしそういう時間も今はなさそうであった。時、四時頃であったのであろうか。それに南方の方のその尾根道は、ブルドーザーが入っていて、巾広い赤ちゃけた山肌を、遥かの方まで晒していた。とてもそんな所を歩く気はしなかった。自分は下坂を経て上滝沢へ至る道を下りにかゝった。
この道のバス停までの所要時間は、案内書の一書には五十分、一書には六十分としてあった。とまれ、登りの時間は、案内書よりずっと多く掛ゝるのが常であったが、下りは早く達っしはしても、多く掛ゝるという事は少ないものであった。故に今から行けば、五時頃のバスへ丁度乗れるであろうと計算したのであった。山間の村の終車は、概して五時か六時であった。という訳で、一時間早目の、五時を見当にしたのであった。
狭い道もいつか農道になっていた。自分は格別に急ぐでもなく、さりとてゆっくりするでもなく、先ずは早足でとっとゝ下りつゝ、段々暮色になってくる山間の景色を楽しんで行った。そんなに早く下っては惜しいのでもあった。
(続く)
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