26年前、智満寺の大イチョウ倒木のこと
2026.5.7
昨日で、小澤寛峰著「島田市北方の山々」を「自分古文書」として載せて来た。何だ、自分の古文書ではないではないかと、云われるかもしれないが、人生80年も過ごしてくると、自分の手元には他の方より頂いた文書がいくつか残っている。つまりこれらの文書は、自分が所持する古文書、略して「自分古文書」に他ならないのである。
その記録をここへ再録しよう。平成12年6月30日午後4時10分頃に、智満寺の大イチョウは倒れた。
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静岡新聞7月1日朝刊に次のような記事が載った。
「島田智満寺の県天然記念物 大イチョウが倒木」という見出しで、「三十日午後四時十分ごろ、島田市千葉、智満寺(北川靖豊住職)境内の県指定の天然記念物の大イチョウが根元から倒れた。北川住職によると同日の昼前から傾き始め、根の切れる鈍い音がしたことから参拝客を通行止めにしていたところ、幹回り七メートル、高さ三十メートルの大木が根の部分から倒れたという。倒木によるけが人はない。島田市博物館文化財係、ここ数日来の雨と風で木に負担がかかったことが原因とみている。大イチョウは推定樹齢三百年という老木で昭和三十一年に県の天然記念物に指定された。樹芯(しん)は朽ちていたが、枝ぶりは良かったという。」
記事を見て、なじみの巨木であったのでびっくりして、その日の午後、梅雨の晴れ間の暑い中を「智満寺の大イチョウ」 の最後の姿を見届けようと智満寺に女房と出かけた。無残な姿であった。しかし、イチョウは人を傷付ける事もなく、すぐ手前の庫裏の門も壊さず、向こう側の庭園を壊すこともなく、庫裏へ通じる通路も塞ぐこともなく、通路を隔てた谷側へ計ったように落ちていた。イチョウに意志があるとするならば、最も被害の少ない方へその巨体を投げ打ったように見えた。見事な大往生であった。
まだ倒壊から二十四時間経っておらず、折れた枝にギンナンが緑白色も鮮やかに残っていて、はかなさを覚えた。延命策もあったのかもしれないが、イチョウとしては天寿をまっとうしたのだろうから、これも致し方なしとしなければならない。残った根をみるとこの巨体がいかに危うい状態でいたのかということが察しられる。小さなヒコバエが一本残っていた。誰が供えたのか、御神酒が供えられていた。女房がそばの小さな賽銭箱に小銭を入れた。三々五々参拝者がやってきて、大イチョウを惜しんでいる。専門家らしき人も来て、根の少なさや葉の小ささに注目して納得している風であった。合掌。
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