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自分古文書(6)「奇壁」2

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  現在のJR山陰線玄武洞駅 (ネットより写真拝借) 自分の記憶と大分違うが  2025.8.23   最近、数独にはまっている。再難問をやっていて、睡眠時間を減らした。これでは数独ではなく、「数毒」だ。今朝、掛川の講演を聞きに行き、そのまま、駿遠の考古学と歴史講座を受講の予定。家に帰っている時間がないから、おむすびを持って出かける。その報告は明日になるだろう。 JR山陰線の玄武洞駅はこんなだったかなぁ。何しろ50年前だから随分変わったと思うが。ともあれ、「奇壁」の続きを掲載する。当時書いたままで、一切触ってないので、表現に問題があるかもしれないが、悪しからず。  *****************************************************    「随分お元気そうですが、お爺さんはお幾つになられます?」  「なんぼぐれぇに見えますいな。これでもあんたぁ、あんたぐれぇな息子が一人と、今高校へ行っとる娘がありますんだぁで」  「ほう。それじゃ、まだお若いんじゃありませんか」  「そうですがな。これでもあんたぁ、まだ七十前ですんだぁで」  「それじゃお爺さんはいけないな。何と言うかな? 小父さん‥‥‥小父さんはずっとこゝに住んでいらっしゃるんですか」  「小父さんはよかった。ハハハ ‥‥‥ 」  仙作は突然、去年の暮れに脳溢血で他界した父を思い出した。父はよく肥えていたから、この爺さんほど皺は無かった。話し方も全く違い、この爺さんのどこを捜しても父の面影を見出すことは出来なかった。しかし爺さんが声を上げて笑ったとき、あの何の屈託もない晴れやかな笑い声と幼児のように爽やかな笑顔に父の面影を見たのであった。  「わしゃあんたぁ、こゝで生まれて裏の川の水で産湯を使ったぐれぇだしけいに死に水もこの川の水にしようと思っとるぐれぇですがな」  遠くから夏の重い空気を押しのけ押しのけ走って来た汽車は茶店より一段高い駅のホームに入って止まり、すぐに慌たゞしく発車して行った。  「十一時四十五分の上りだな。学生さん、昼はどうしんさる。見たところ弁当持って来とんなれへんようだし」  「おや? 僕が学生だって良く解りましたね」  「それゃぁ解りますうぇな。今頃あんた、ぶらぶら出...

自分古文書(6)「奇壁」1

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奇壁『玄武洞』 (ネットより写真拝借) 2025.8.22 昭和40年12月1日発行の同人誌『霧』には、22頁にわたって小説『奇壁』が掲載されている。「来島義礼」なるペンネームは、どんな名前にしようかと、思い悩んだ末に「苦しまぎれ」に付けた、自分のペンネームである。舞台は豊岡市の観光スポット「玄武洞」。かつては柱状節理が表れている玄武岩を、石垣や庭石、漬物石などに利用するため採掘していた場所で、「玄武洞」と命名さて天然記念物に指定を受けたため、採掘を中止したままの壁である。洞窟は採掘しながら掘り進んでいた場所である。 今はすぐ近くまで車が入るようだが、かっては対岸の山陰線玄武洞駅で下車して、目の前の円山川を船で渡った。舟もはじめは船頭が竿を差しながら進む舟だったが、やがてエンジンがついた船となった。今も、渡し船を遊覧船として運航しているようだ。 前置きはこれ位にして、さあ、小説「奇壁」の始まりである。 **************************************************                   奇  壁                           来島義礼  川口に近いのであろうか。川幅がかなり広くなって来ている。川向こうの老化し た山並みは柔らかな起伏をなしている。川の左岸に沿って狭いアスファルト道路が 続き、その山側には単線の鉄道が平行している。仙作は鄙びた列車の数少ない乗客 の一人であった。車内には、魚の臭いと傍若無人な会話を充満させている行商人の おばあさんたち、だらしなく舟を漕いでいる会社員風の青年、無賃乗車の子供を三 人も連れた生活の疲れの色を見せる母親、そして一つ手前の駅で乗り込んで仙作と 通路を挟んだ向かい側へ慌たゞしく座を占めた女子高校生たちなどが、それぞれ無 関係に同乗していた。  仙作は三度ばかり斜向かいの女子高校生と視線を合わせた。 髪をお下げにして瞳がどきっとするほど澄んでいた。ところが何という神の悪戯で あろう。顔の他のあらゆる部分は、仕事に疲れて横着になった神様が残り物を寄せ 集めて造ったかのように、不統一で不整合だった。仙作は思わず吹き出しそうにな ってやっと我慢した。列車は一揺れして小さな駅に止まった。仙作は我に返り目的 の駅であることに気付いて慌てゝ通...

おたふく風邪と母子手帳/詐欺電話にご注意!

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    酷暑の裏の畑、ボタンクサギの花だけが目立つ   2025.8.21     一昨夜のことである。固定電話が鳴った。出ると男の声で「おたふく風邪に罹ったみたいで」という。その言い方で、息子からかと思い、疑わなかった。先ほどまで、一緒に巨人戦を見ていて、二階の自分の部屋に上がって一時間と経たない。何で固定電話に掛かってくるんだと思うが、ネット情報などで、どうもおたふく風邪の症状に近いと気が付き、うつしてはまずいと思っての電話だろうと思い込んでしまった。「おたふく風邪に罹ったことがあるか知りたいので、母子手帳はあるだろうか」と聞く。「母さんが今お風呂だから、あとで聞いてみるが、明日の朝、ちゃんと医者に診てもらえ」と答えた。「もう寝るから、また明日の朝電話する」と言って電話が切れた。息子の母子手帳なんて、もう50年以上前のものだ。 翌朝、息子が二階から降りて来て、「整形外科の予約を取ってくる」という。「おたふく風邪なら内科じゃないのか」と聞けば、「おたふく風邪とはなんだ」という。「昨夜、電話で言ってたじゃないか」と聞いても「何のこと?」というだけで通じない。あげく、「夜、夕食後一緒にテレビ見てたじゃあないか。おたふく風邪の訳がない」と言われて、ようやくおかしいことに気付いた。間違い電話か、詐欺電話だったのか。 息子が出かけて、しばらくして、おたふく風邪の主から電話が来た。間違い電話だったらと思い、「あなた誰ですか。名前は」と聞くと、黙っていて答えない。名前も言えないなんて「あんた馬鹿じゃない?」というと、「そっちこそ、馬鹿だ」と言って電話が切れた。馬脚を顕した。間違いなく詐欺電話であった。でも、母子手帳がどう詐欺に使われるのか、それが解らない。 皆さん、「おたふく風邪」と「母子手帳」の詐欺に気を付けましょう。 ********** ネットを見ると、 「おたふく風邪」と「母子手帳」の詐欺 電話の記載が、出るは出るは、ちまたで横行しているようだ。 

自分古文書(5)「囲碁談議」(『霧』穴埋め用原稿)

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 伯父の遺品の碁盤   碁盤裏側 中央の彫刻が首台 2025.8.20   写真は、昔、囲碁好きの伯父が、静岡の開業医、野竿氏から頂いた碁盤。今は伯父の遺品として我が家にある。自分が親族中、唯一の碁打ちだったからである。裏返すと、載せるには少し小さいが、伝統に乗っ取って首台が刻まれている。  大学入学後、全く未経験者ながら、囲碁部に入って、一から教えてもらい、時間がある限り、大学の生協食堂二階でひたすら囲碁を打って過ごした。囲碁部には町で打てば、四、五段の実力の猛者も先輩にいた。一年間、所属して揉まれ、一級位にはなれたと思う。だから、この頃、埋め草に囲碁を扱ったことはよく理解できる。2年になると。色々と忙しくなり、囲碁部に顔を出せなくて、やがて退部となった。  『霧』の埋め草として、『囲碁談議』は書かれた。『楽天』は自分の雅号として、この頃から使っていたようだ。内容は駄洒落で書かれているが、当時、仲間内、駄洒落は生活の一部で、四六時中ネタを考えていたような気がする。記憶にある、ありふれた駄洒落一つ。    電話が掛かってきたと呼ばれ、「電話にゃ 出んわ 」  *****************************************************                囲碁談議                            木下楽天    世の碁を知らない族(やから)に物申す。諸君は我々棋士に対して、「彼等は道楽者だ」と決め付ける。何故と尋ねて見れば、満足にその理由を答える者は皆無に等しい。中に大脳の皺が猿より三本位しか多くない奴が、問い詰められ、プレパラート上の微生物程の知識を総動員して、ずう/\しくも威厳を込め答えた。  「なんとなればだ。碁は五であって六でない。つまり ろくでなし だからだ。」  なんという軽薄な、笑止な。彼は碁の正式の名が囲碁である事を少しも知らないのだ。囲碁は一と五だから(ここで算数を講議するつもりはないが)六になる。そして彼の理論でいけばろくでなしではなくて、六でありとなり、なんとまぁ、彼は批難するつもりが逆に弁護してくれている。つまり彼等はろくでなしではないと。  囲碁は立派な芸術ですぞ!そんなにビックリする程の事もない。囲碁...

自分古文書(4)「『霧』発刊に際して」

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同人誌「霧」創刊号、表紙   同人誌「霧」創刊号、裏表紙   2025.8.19 昭和40年春、大学生になって、全く知り合いのいない静岡の地に立った。唯一、野竿さんという開業医が、昔、教員だった伯父の教え子で、医者になるために色々面倒を見たことから、自分の下宿の世話などして頂いた。だから、大学のそばに、落着き先はあった。  入学後、囲碁部に入って、講義の合間、食堂の二階で囲碁を打って過ごした。無聊のまま、夏休みの帰郷の折りに、高校時代の仲間と同人誌を出そうと思いついた。早速友人たちにハガキで呼びかけ、しかし、応じてくれたのは自分を含めて3人のみ。言い出しっぺで、自分がガリ切りなど発行の手間一切を引き受けた。ガリ版印刷で36頁の同人誌はその12月に発刊された。誌名は、同人由利氏の発案で「霧」と名付けた。「『霧』発刊に際して 」と題して、編集子の名で、以下の文を載せている。        『霧』発刊に際して     『霧』と云う単語から諸君は何を連想されるだろうか。或人はロンドンを、或人は息苦しい都会のスモッグを、或人は山小屋の朝を、或人は霧笛を鳴らし蝸牛の様に航行する船を、又或人は霧の中に背を見せて去って行った恋人の事を、とそれぞれ連想されるだろう。私にとって、  『霧』は故郷の象徴である。兵庫県の北の果ての小さな町、そこでは秋になると毎日も様に霧が立つ。霧に霞む山々、霧に漂う屋並み、そして霧が晴れ始めた時、顔を出す青空の嬉しさ、それらが次ぎから次へと、 『霧』という単語を媒介として眼底に鮮明に再現して来るのだ。 ※   『霧』はさらに心の霧をも意味する。曽て私が、各々ラベルの貼られた沢山の瓶が無秩序 に並べられている、『心の霧』という戸棚を眺めやった時、一本の瓶が特に私の注意を引いた。その瓶を手に取って、そのラベルを見ると『自己限定』と書かれてあった。私は大いに興味を懐いて、その瓶の蓋を開けてみると、一条の煙と共に人間の声が聞こえて来た。  「僕には文才が無いから投稿出来ないんだ。」  その声の何と悲しく、何と淋しく響いた事か。   ある程度の教育を受けた者なら、凡そ誰でも文章を書けない筈がない。それにも拘らず、多くの人は自らの能力を自身で限定してしまって、それが当然の様に、そ...

「助兵衛」と「コロナ」と「八紘一宇」と

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一見、秋のような、今夕の空  昼車で外気温を見たら37度と まだまだ酷暑は明けない  2025.8.18   15日、駿河古文書会があって、静岡に行った。講師は前回に引き続き、N会長である。誰もが認める、古文書解読の第一人者で、どんな講師の話よりも、初心者でもよく理解できる講義である。自分は古文書解読の講師を始めて以来、そのすべてを見習いたいと努力を続けているが、まだまだN会長には遠く及ばない。 この日の題材は、江戸時代、駿府の町方の年行事が残した萬留帳であった。その中に、駿府の商人で町方運営にも随分貢献した「助兵衛」さんの名前が度々出てくる。講師が解読をして行く中で、「すけべえ」と度々口にすることになる。ご本人「助兵衛」さんの所為ではないのだが、名前が現代では汚れてしまっているので、聞いている人たちも、十分承知のことながら、その度に心が揺らぐ。 N会長はそれを気にされたのであろう、始めから「助兵衛」を「すけひょうえ」と読まれ、最後までその読みを続けられた。「兵衛」は「ひょうえ」とも読む。 明治の海軍大将にして、その後、内閣総理大臣も務めた、山本権兵衛は「ごんのひょうえ」と名乗っていた。清廉潔白な大臣で、その後、日本海軍の気風の基を作ったと言われている。おそらく「名無しのごんべえ(権兵衛)」などと軽く扱われるのを嫌ったための名乗りだと思われる。 N会長の名前の読み替えは、そんなことを踏まえての機転だと気付いた。 言葉は元の意味とは関係なく、後の事件などによって汚されるものだと、この頃つくづく思う。まだ記憶に新しい、猛威を振るった「コロナ禍」のあと、同じコロナの名を使っていた会社などが、どれだけの迷惑を蒙っただろうことは、察するに余りある。 戦中、国威掲揚と 国民鼓舞のため、様々な事柄が使われた、「日の丸」、「君が代」などをはじめ、16日に取り上げた「八紘一宇」の言葉も利用された。それらは、敗戦とともに一転して、敗戦の象徴となって、マイナスイメージの言葉になった。 「日の丸」「君が代」はオリンピックなどの選手の活躍もあって、ようやくマイナスイメージは払拭されたようだが、 「八紘一宇」はマイナスイメージのまま、打ち捨てられている。まあ、何しろ板で覆って隠されていたのだから。 「 八紘一宇 」は神武天皇の建国の理念で、 『日本書紀』に、「八紘(...

【活動の記録】と【読了図書】7月29日~8月17日

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  静岡城北公園、ヒマラヤスギの林(15日撮影) 2025.8.17   本日分の投稿をうち忘れていて、12時直前に何とか投稿、その後手直しをする失態を演じた。今日のテーマは別のものだったのだが。失態の原因は昼寝が過ぎたことと、難解な掛川古文書講座の次回課題に取り組んでいて、時間を忘れていたことである。    この半月余では、「大学の友人との交流」、「孫たちの来金」、「女房の喜寿の祝い」、「史上最高の酷暑」などが話題となった。     ************************************************    【活動の記録】 8月01日    午後、 駿河古文書会に出席。 8月02日     午後、大学の先輩、大庭氏宅来訪。   8月03日    午後、 大学の同級生、百地氏と逢う。その後大庭氏宅へ。   8月05日   群馬県伊勢崎市 41.8度、国内最高気温を更新 。 8月06日   静岡市 41.4度、静岡県の最高気温を更新 。     8月09日   名古屋 、かなくん母子来金 。     8月10日   夜、 「蓬春」(島田の食事処)にて、 女房の喜寿の祝い 。         老夫婦、 子、孫含め9人にて。   8月11日   夜 、 昨日のお礼も兼ねて、ばら寿司を作って孫たちにふるまった。         菓子作りが趣味のあっくんがクレーブを作り、皆んなにふるまって         くれた。  8月13日     午後、まきのはら塾、「古文書解読を楽しむ」講師。 8月14日     午後、掛川古文書講座出席。 8月15日     午後、駿河古文書会に出席。 8月16日    午前、金谷宿大学「古文書に親しむ(初心者)」講座教授。            午後、金谷宿大学「古文書に親しむ(経験者)」講座教授。   【読了図書】 読書:「わるじい義剣帖 5 ざまあみろ」...