自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(6)

対面石にて

2026.2.24

午後、パソコンが壊れて、中止にした、まきのはら塾「古文書解読を楽しむ」講座の埋め合わせの講座を、榛原文化センターで実施した。今日は、仕事で講座へ出席できなくなったという一人を除いて、全員出席であった。この10人が四月からの新年度にも継続参加してくれるであろうか。今日の講座で、手作りで出来たばかりの「大井河源記(解読版)」を受講者全員に進呈した。

受講者のMさんは3月1日から四国歩き遍路に逆打ちで出かけるという。同行の士がここにもいた。帰ってからの話が楽しみである。Nさんから田沼の相良城破却の記録の文書を預かる。コピーを取らせていただき、次回返却する。

東海道ウォークは続く。

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広い道を突っ切った所に「八幡神社」と「対面石」の看板が出ていた。探しながら歩いて、通り過ぎたかと心配になった頃、道路工事中の所に八幡神社の入口があった。工事で掘った穴を跳び越したところ、あっ!と警備員が声を上げた。穴に落ちて怪我でもされたら、警備員の落ち度になるのだろう。悪いことをしたと思う。後へ続いた三人は工事の穴を避けて廻った。

200メートルほどの参道を通り、檜林の奥に八幡神社はあった。拝殿には10数人上がって祈願祭でもあるらしく、祝詞や鳴り物が聞こえる。本殿は上屋が出来ていて見えないが、随分古そうである。本殿の左手奥に対面石という、腰掛けるにちょうど良い一対の石があった。

その昔、源頼朝が弟の義経と対面した時に、両者が座った石だという。そこで鈴さんと和さん、臼さんと自分の組み合わせで、その石に座って写真を撮った。対面の時に、食べようとした柿が渋柿だったため、ねじり捨てたところ芽を出したという柿の木が側に植わっていた。この対面石は元々先ほど横切った広い道の側にあったというから、柿の木も伝説に基づいて最近植えられたものである。

皆んなでトイレを借りた後、社務所で神主の奥さんから御朱印をもらう。昔はこの辺りの広い一角が神社の敷地だったが、年々売ってしまい今の広さになったのだと語る。しかし自分たちの代には一坪の土地も減らしていないと胸を張るように話した。

黄瀬川の手前に松並木が残っていて「松並木」の共通サインがあった。黄瀬川の橋の東たもとに川でなくなった人の供養と橋の安全を祈願する「法界さん」という地蔵さんがあると本で読んで来たが、改修工事があったのか、川幅が思った以上に広く、土手も高くてそれらしいものも見当たらなかった。

源頼朝の富士の巻狩りのときに、招かれたのを断り、18歳の春、黄瀬川上流の鮎壺の滝に身を投げたという、絶世の美女亀鶴を「亀鶴観世音菩薩」として祀った碑が、街道沿いの潮音寺前にあった。駿河三十三観音の第三十三番霊場になっている。

「従是西沼津領」の杭があるはずだと探しながら歩いていたところ、和さんが少し奥まった二階建ての集合住宅前に見つけた。ほぼ完全な状態で残っている。しっかり彫り込んだ立派な石柱であった。

街道は一度広い車道に出て、狩野川沿いの道へ入る。かつては狩野川を見ながら歩いたのだろうが、今は高い土手に阻まれて川は見えない。土手に登る道があったので登って見る。狩野川台風の時、人が助けを呼びながら次々と流れて行ったという川も、今は穏やかな流れを見せている。カモメだろうか、沢山の白い鳥が川面に浮かんでいた。

土手から降りた所に『平作地蔵尊』という祠があって、側の説明板によると、日本三大仇討の一つに数えられる荒木又衛門が助太刀し三十六人切りをした仇討で、仇の情報を得るため一命を賭した平作を祀った地蔵だという。『伊賀越道中双六』という浄瑠璃で有名な話だという。

それよりすぐの所に『沼津一里塚』があった。伏見の一里塚から一里は離れていないけれども、一里を正確に測ると沼津宿の中に入ってしまうので、ここに一里塚を置いたという。児童公園の中に低い土盛りの一里塚と『玉砥石』という石があった。玉砥石は古墳時代に近くにあった玉造郷で玉を磨いた砥石だという。表面に幾本もの磨き溝が残っていた。

三島宿 4.1km 【沼津市 一里塚跡】 → 原宿 7.5km

道が広くて奇麗な沼津の中心街を歩いて、商店街の角の歩道に『沼津宿』の共通サインがあった。鈴さんが共通サイン前の自転車を動かして記念写真を撮った。

三島宿 5.4km 【沼津市 沼津宿】 → 原宿 6.2km

東海道スタンプ『沼津宿』は牧水記念館に行かなければ貰えないため、旧東海道を外れて海側へ歩く。あまりの空腹に我慢できず、途中で『河庄』という鰻屋に入る。腰が90度に曲がった老婆のウェイトレスの、足元の覚束ないサービスを受けて、うな重を食べた。食後、只だと聞いてテンカスの袋をナップサックに入れた。

いくらか迷い、漸く『千本松原』に出て若山牧水記念館にたどりついた。東海道スタンプを押してしまうと気持が急いて、見学もそこそこに退散する。大変失礼ではあったが印象に残らない記念館であった。


東海道スタンプ「千本松原」

(東海道ウォーク二日目、続く)

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