自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(18)

「御羽織屋」前にて

2026.3.18

午後、金谷郷土史研究会があった。今日は、今年度活動の報告と、来年度の活動についての打ち合わせであった。

東海道ウォークの六日目を続ける。

*************************************************************************

道の付け替え工事が進んでいる宇津ノ谷に入る。自動車道から旧街道に入る分岐に『宇津ノ谷』のサインがあった。

丸子宿 0.8km 【静岡市 宇津ノ谷】 → 岡部宿 3.2km

両側の古い家並の門口に、旧屋号が『丸子屋』『伊勢屋』などと板に書かれて標示されていた。その一軒の『御羽織屋』では、小田原征伐の折りに、秀吉から羽織を賜ったという。中を見学させてくれるというので、先日見たばかりという鈴さんを残して、中に入る。今日はお祖母さんがいないからと嫁さんが案内してくれた。「・・・だそうですよ」というのが口癖の、抑揚のない口調で説明してくれた。

秀吉から馬の草鞋を所望されて、主人は草鞋を三脚分差し出した。なぜ三脚分かと聞かれて、後はお帰りに差し上げますと。帰りを約束するのは勝利を前提にしている。縁起が良いと秀吉を喜ばせたという。帰りに立ち寄った秀吉から、礼にと着用の陣羽織を拝領した。

その陣羽織はガラスケースの中にあった。外側は和紙製、内側に絹を使い、綿を入れてあるという。その後、徳川家康をはじめ、有名人が沢山訪れ、昔は縁起が良いと、この羽織に腕を通したという。そのためかなり擦り切れている所も目立つ。

この羽織の逸話は、おそらく馬の草鞋が三脚分しかないための言い訳として、その場の機転で発した言葉だったのだろう。秀吉も三脚しか無い言い訳であることを百も承知で、それを戦の勝利に結び付けた機知とユーモアを解して喜んだのであろう。ともあれ、褒美としてこの部落は長い期間、諸役を免じられたという。

最後に、この『御羽織屋』で宇津ノ谷名物の『十団子』を買って出てくると、鈴さんは濡れた靴と靴下を脱いで、日向に出してのんびり干していた。

部落の出口に再度『宇津ノ谷』のサインがあった。これより峠道は山道となる。山道とはいえども参勤交代も通った道であるから、2メートルほどの幅を保っている。

     丸子宿 1.1km 【静岡市 宇津ノ谷】 → 岡部宿 2.9km

馬頭観音、弘法さんの祠、芭蕉の門人『雁山』の墓などを見て、宇津ノ谷峠に至る。峠は両側に山が迫った鞍部で、風の通り道になっていて、本来なら心地好い所であった。しかし、ほんの少しの登り坂が風邪ぎみの身体にこたえて、しばらくの間気持が悪くて、せっかくの和さんのゆで卵もパスしてしまった。

(六日目さらにつづく)

コメント

このブログの人気の投稿

おたふく風邪と母子手帳/詐欺電話にご注意!

「かさぶた日録」改め「かさぶた残日録」開始

竹下村誌稿の事