自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(10)

 
富士川の赤富士

2026.3.4

東海道ウォーク三日目の続きである。

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富士川の手前には『水神社』がある。『富士川渡船場の跡』との案内板もあった。境内に『富士山道』の大きな石碑や『富士川帰郷堤の碑』があった。これより上流側の堤防は遊水池を作って水勢を和らげるように工夫されていて、その形が雁が羽根を広げたように見える所から『雁堤』と呼ばる堤がある。江戸時代初期に造られた堤だという。

富士川に掛かる歩道橋の途中より、富士山の写真を取る。朝から見えていた富士山には必ず無粋な電線が入ってしまったが、ここで初めて邪魔のない無傷の富士山の写真が取れた。橋を渡った対岸の土手の10メートルほど川上に、『渡船場跡』の共通サインがあった。

吉原宿 5.2km 【富士川町岩淵宿 渡船場】 → 蒲原宿 4.5km

土手の下の河原に三角形のコンクリートの構築物があった。流木から堤防を保護するものだろう。河原には富士山を狙う数人のカメラマンが場所取りをしていた。低い堰があって、上流には広い水面が広がっている。そこに逆さ富士が映る。堰を越す水流と富士山、鴎が群れ翔ぶ姿など、シャッターチャンスには事欠かないのであろう。我々も次々とシャッターを押した。

土手を更に川上に上った所に、渡船『上り場』常夜燈がある。旧東海道ではここで渡し船を降りたのであろう。またここは、富士川を船で下ってきた信州、甲州の物資が荷揚げされ、東海道に引き継がれる交通の要所であった。京都の豪商の『角倉了以』がここの舟運を開設したことを記した、紀功碑があった。


東海道はここから坂を上って岡の上を行く。現在の街は下にあるが、そこは昔はおそらく河原だったのだろう。旧街道に『間の宿 岩淵宿』の『常磐本陣』があった。黒い塀の屋敷内に『本陣のマキ』と呼ばれる古木が見えた。また、常夜燈がさり気なく立っているなど、旧東海道の雰囲気が色濃く残っていた。『岩淵の一里塚』は役場のそばに残っていた。一里塚の榎の巨木は『静岡県の巨木』に数えられている。そばに東海道の共通サインを見つけた。

吉原宿 6.2km 【富士川町岩淵宿 一里塚】 → 蒲原宿 3.5km

富士川のスタンプ所のファミリーマート滝を見落として来てしまい、もう一ヶ所の役場も日曜日でスタンプが貰えない。ファミリーマート滝を捜して戻るより仕方がなく、地元のおばさんに聞くと、どうも富士川土手のすぐそばだったようだ。三人の非難の顔を見るのが辛くて、下の道に降りてからは先頭に立って、歩道を有無を言わせずどんどん引き返した。夕暮れが近づいて、富士山が赤く染まり始めて来た。何が幸いするか判らない。赤富士を撮るチャンスが我々のものになった。


東海道スタンプ「常夜燈」

富士川町のスタンプを押した後、丁度フイルムが切れていた三人はフイルムを買い込み、再度河原へ降りて、赤く染まり始めた富士山を、逆さ富士を、心行くまでカメラに収めた。怪我の功名だが、自分がファミリーマート滝を見過ごしたために、こんなシャッターチャンスが出来たのだから鼻が高い。帰りに宵闇せまる土手の側で昭和天皇の歌碑を見る。碑に彫刻された穴から、旧天皇誕生日(緑の日)の正午に、光が通って地面に配した石の位置へ光が落ちるのだという。歌碑は次のような歌であった。

    ふじのみね 雲間に見えて富士川の 橋わたる今の 時の間惜しも

(三日目終り)




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