自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(12)
東海道ウォークも四日目の続きである。
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駅前の水飲み場で花粉がいっぱい付いた目を洗おうと思った。ところがこれが大間違いだった。サングラスである程度避けられ、付いた花粉もおとなしくしていた所に、中途半端に水をくれたものだから、花粉が瞼で爆ぜてしまった。そして猛烈に痒くなった。擦れば余計に痒くなることは承知していながら擦らずにはいられなかった。眼が開けられないほどで、段々酷くなった。一人だけ『うん』が付かなかったための災難だった。そこからはひたすら薬屋を探して歩くはめになった。蒲原宿西木戸は長い蒲原宿の西の外れでサインもあり、写真を撮ったりしたのだが、痒みで楽しむどころではなかった。
富士川町 1.9km →【蒲原宿 西木戸】 → 由比宿 3.1km
蒲原駅の手前でやっと薬屋を見つけ目薬を買った。薬剤師の主人の説明もそこそこに、その場で目薬を差して漸く人心地ついた。蒲原駅で駅スタンプを貰い改めて町並みを眺めると、この辺りの家は町屋で間口は狭く奥行きの長い家である。二階の軒下に太い垂木が数十センチ間隔に出ていて、家の軒がその分高くなり、大変建物を立派に見せていた。古い家に多い建て方であるが、新築の家でもそういう造りが見え、現代にも受け継がれた建築方法なのだと思った。こういう建物は由比の町にも多く見られた。東名を潜り抜けて由比の町に入った所にサインがあった。
蒲原宿 2.8km →【由比町 由比】 → 由比宿 0.3km
由比宿を入った所に由比の一里塚の石柱があった。昨年十二月に和さん、臼さんと三人で広重美術館から薩埵峠へ歩いた時には、手前で引き返し、ここまでは足を延ばしていなかった。
広重美術館は二度目である。前回は本陣記念館にも入りお茶を戴いたりしたが、今日は鈴さんに付き合って美術館だけに入った。美術館を出て、本陣の門で『東海道』スタンプ『由比宿』を押した。そして向かい側の由比正雪の生家といわれる『正雪紺屋』に入った。店に残る古い藍瓶は今は使用されていないが、店に飾られた藍染の土産物は、この店の別の場所で今でも作っているという。広重の『夜の雪』を図柄にした藍染の手拭いを一本買った。
桜海老を食べさせる食堂を美術館で紹介して貰った。天麩羅が『桜海老館』のはからりと揚がっているが、昔からある『井筒屋』のものはもったりとしていて桜海老が多いという。道すがらの井筒屋に入った。『ゆい定食(そば)』を頼んだが、なるほど大きな桜海老がたっぷり入った天麩羅が二つも付いて、それだけで満腹になった。
鈴さんが桜海老を買うというので、途中で魚屋へ立ち寄った。塩ゆでした桜海老を試食したところ、旨いのでついつい生桜海老を買ってしまった。由比駅で駅スタンプを所望したところ、盗まれたとすげない返事であった。
間の宿の倉沢で東京から来たというツアー団体客に追いつかれた。望嶽亭藤屋は戸が閉まっていた。鈴さんが案内を乞うと女衆が出てきて、先ほどまで来客があって主人は食事中だという。今日は先を急ぐので門口で失礼した。倉沢の一里塚にあるサインで写真を撮った。
由比宿 3.4km →【由比町 倉沢】 → 興津宿 5.4km
東京の団体客の後を追うように薩埵峠を登った。歩く服装をしていない若い娘が、一人でどうしてこんなツアーに紛れ込んだのか、長く歩かされ坂まで登らされて、もううんざりだという顔で最後尾を歩いていた。聞くと神奈川から来たという。ここに来る前に広重美術館に寄って日帰りだからもう帰るのだという。団体に占領された薩埵峠の隅で、途中無人販売で買ったミカンを食べる。富士山は頭の雲が取れそうでなかなか取れない。団体客はそこから引き返して行った。後に中年のツーリングのグループだけが残った。並んだ大型二輪を皆で品定めした。
由比宿 4.6km →【薩埵峠】 → 興津宿 4.2km
駿河湾を見下ろす最近整備された遊歩道を歩いた。出来たばかりなのにもう一部で改修を行っている。清水の薩埵峠では富士山の雲も取れ、傍らには梅が咲き残っていた。
由比宿 5.6km →【清水市薩埵峠】 → 興津宿 1.9km
薩埵峠からJR東海道線側に下って、興津駅に向かった。途中身延道の入口を示す大きな碑があった。独特の髭文字で『南無妙法蓮華経』と刻まれていた。興津宿のスタンプは次回として、興津駅で駅スタンプを貰う。
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