自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(静岡県二十二宿)(35)
2026.4.17
午後、駿河古文書会で静岡へ行く。城北公園はなんじゃもんじゃ(ヒトツバタゴ)の白い花が真っ盛りであった。
東海道ウォーク11日目の続きを載せる。今日で東海道二十二宿のうぉーくを終える。続いて姫街道を歩くことになる。
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町に入るとすぐ曲尺手(の標識があった。ここでは道がクランク型にずれて通りを見通すことが出来なくなっている。大名行列が往来していた当時、行列がかち合うと、位の低い大名が駕籠から降りて挨拶するしきたりであった。そこで、行列は曲尺手の手前で止まり、斥候を出して、かち合いそうならばお寺などに一時避難し、かち合う事態を避けたという。
東海道スタンプ「潮見坂」和さんがめざとく谷中たばこ店を見つけて『東海道』スタンプ『白須賀宿』を押す。たばこ店で食堂を尋ねたところ、国道へ出た所にあるという。国道へ逸れる四つ角に問屋場跡のサインがあった。
新居宿 6.3km →【問屋場跡】 → 二川宿 5.9km
国道端の吾妻屋食堂に入り、エビフライ定食を食べる。北西風が強まり、入口の隙間が笛のように鳴る。
町中の旧東海道に戻った所に『夏目甕麿邸址』の石標があった。夏目甕麿(は本居宣長の門人の国学者である。
大きな鬼瓦を置いた屋根が不相応に立派過ぎて、重さのために軒の左右を鉄柱に支えられた庚申堂があった。前庭には『見ざる聞かざる言わざる』の三匹の猿の像が設置されていた。
人家が尽きる手前に境宿のサインがあった。これより先、愛知県にはこのような道しるべはないから、東海道の最西端のサインである。
白須賀宿 0.2km →【境宿】 → 二川宿 5.2km
人家が尽きて渡った小さな川が、現在も県境の境川である。これで長い静岡県を縦断し終えた。しかし姫街道も残しており、まだ途中では喜びも湧かず、県境の道路標識を背景に、記念写真を撮って先へ進む。
道は広い国道一号線、遮るものもないキャベツ畑を、激しい向かい風に、木枯らし紋次郎のように、顔の前で帽子を摘んで歩く。それでも身体さら吹き飛ばされそうで、大変な歩行となった。
途中『一里山』という地名があり、道路の東側にそれらしき小さな森もあったが、道路は真ん中で上り下りが仕切られているため、向こう側へ渡ることが出来ずにパスした。
空っ風とキャベツ畑の歩きが嫌になる頃、サークルKを見つけて逃げ込む。苺牛乳を飲み、トイレを借りて、態勢を整えて、再度風との闘いに出る。北方の山に岩山が見える。和さんは現役時代に何度も通って見た岩山だという。本を見ると『立岩』と言い、各種の道中記にその名が記されているそうだ。
国道は新幹線にぶつかって、西へ平行して続く。神綱電気の工場の正門前より、国道と別れてガードを潜り、東海道線の踏切を渡ると二川の町に入る。その入口に二川一里塚の石標があった。門々に『二川本陣まつり』の旗が立ちポスターが張られている。読むと明日が祭りで大名行列が出ると書いてある。
二川本陣資料館の案内板に、見学することにする。古い本陣を改修復元して、内部を開放してある。随分立派な建物だと思った。資料館の方は由比の広重美術館の施設に似ている。ただざっとしか見れなかったので残念であった。資料館を出た所に、高札場が再現してあったのは興味深かった。実際の高札場跡は、もう少し西へ行った所に石標があった。
二川駅では改札と切符売場に駅員が一人である。その駅員は忙しさに、中年女性の列車時間か何かの質問を断ったらしく、どこかの駅では親切に教えて貰ったと食い下がられ、さらに名前を名札で何度も確認されて、不親切さを監督部署へ投書でもしそうな口調に、困っている様子であった。時間位自分で探せと言いたいのだろう。オバタリアンはこれだから困ると愚痴りたいのだろう。
なお、この後、「番外、姫街道」へ続く
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