自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(番外 姫街道)(3)
2026.4.23
解読冊子は、現在8冊目「安倍記」を手掛けている。桑原黙斎には「濱つづら安倍紀行」と「安倍記」があるが、内容は似ているが、「安倍記」の方が旅紀行として、まとめられているので、そちらを手掛けることにした。
それはさて置き、東海道ウォーク姫街道1日目を続けよう。
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今日初めて、メイン道路から外れて、少し進んだ四つ角に『六地蔵』が祀られていた。傍の竹藪はかって刑場であったと言い、刑死者を供養したものだという。そして六地蔵のサインがあった。
浜松宿 11.5km →【細江町六地蔵】 → 気賀宿 2.7km
見る人が見れば、その竹藪にはきっと霊がうようよしているのだろうと誰か言う。だから、その部分だけは未だに土地利用されず、竹藪で取り残されているのだろう。
姫街道は道から逸れてさらに細い道になる。その分岐の角に秋葉常夜燈があった。姫街道の道しるべもあったのだが、川さんは一人なら知らずに行き過ぎてしまうところだと語る。
槇囲いの中の道を少し行くと千日堂に至る。ここでゆっくりと休憩する。千日堂は最近建て直されて新しくなっていた。代々気賀関所の管理者だった近藤家の下屋敷にあった観音様を移して祀ったのが始まりだというが、宝永年間に阿弥陀如来を祀って、千日念仏が行われてから千日堂と呼ばれるようになった。椎の古木が何本かあった。臼さんからミカンを頂く。
老ヶ谷の一里塚には気がつかずに過ぎ、姫街道の面影の残る長坂も平行する車道の方を下ってしまった。そして細江の入口の落合橋を渡る。この橋の直前で都田川に井伊谷川が合流する。だからこの橋を落合橋と呼ぶのであろう。江戸時代には渡し舟で渡ったという。
細江の町に入った所で『みそまん』の看板を見つける。細江の名物だと話しながら通り過ぎようとすると、和さんが表にいた奥さんに呼び込まれてしまった。そしてついつい連れ買いをしてしまう。しかし帰宅してから評判良くて、すぐになくなってしまった。天浜線のガードを抜けた角に、姫様道中の大きな絵看板のある小公園があった。そして気賀宿のサインもあった。
浜松宿 14.2km →【気賀宿】 → 三ヶ日宿 10.8km
その角は気賀関所の東門のあった位置で、気賀関趾の石碑が立っていた。
樟の巨木が立ち並ぶ細江神社の境内を横切って、細江町立の姫街道歴史民俗資料館に入る。資料館の側に小さな藁屋根の小屋が移築されていた。これは旧山瀬家の産屋で、血のけがれを避けるため、お産中の女子が別火で煮炊きして生活したといわれる。明治初期まで実際に使用されていたものである。
資料館の中には姫街道の歴史を語る品々もあったが、特に近くで頻繁に出土された銅鐸が、場所を広く割いて展示されていたのが印象に残った。レプリカを洋鐘のように叩くことが出来たが、決して美しい音色とは言えず、こんな使われ方はしなかったのではないかと思う。ともあれ、細江の町は『銅鐸』と『姫街道』を町興しに使おうとしているようだ。
細江郵便局に寄り風景印を得た後、再建された気賀関所に行く。『姫街道』スタンプ『気賀宿』を押すためである。気賀関所は一部資料館の建設で工事中であった。門の前で当時の役人の陣笠と羽織を貸してくれ写真を取った。中に牢屋があった。格子が頭が通らないほどに細かい。テレビでは人が格子から抜けられそうなほど格子が大きいが、あれは嘘である。中に入って閉められると、ぐるりを格子に囲まれ少し不安になる。
天浜線気賀駅から電車に乗ると間もなく眠くなり、掛川までの一時間半がそんなに長く感じないほど良く寝れた。
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