自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(番外 姫街道)(5)
姫街道 姫岩(平石)
2026.4.25
東海道ウォーク 番外姫街道、2日目の続きである。
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すぐに引佐峠が始まり、復元されたらしい石畳が始まる。金谷の石畳ほどの幅は無いが、使われた石が丸石ではなく、お城の石垣をねかせたように、割った石の平らな面を使っていて、気持ち歩き易い。
金谷の石畳ほどの高低差を登りきった所に、『平石御休憩所』がある。『姫岩(平石)』の説明板があった。往時には、大名行列が通るときなどに、気賀の近藤家の家臣がここまで出迎え、湯茶の接待をしたという。見回すと、すぐ側に畳十畳敷ほどの一枚岩があった。道面とほぼ同じのため目立たなかったが、少し傾斜があって、かっては旅人の絶好の休憩場所になっていたのだろう。江戸時代以来、幾多の旅人が座ったと思うと感慨がひとしおである。
和さんは、今朝出掛けに折り畳みの傘を持ってきたから、きっと雨が降ると不吉な予想を立てていたが、休んでいる間に雲行きが怪しくなり、雨の心配が出てきた。お天気が続いていたし、午後になって降水確率がやっと20%の予報だったから、まさかと思っていたのだが、合羽も家に置いて来たという鈴さんもおり、何となく気忙しくなってきた。
浜名湖もちらちら見える緩やかな登りの山道を行く。道が時々別れるが、標識がしっかりしているから安心である。地図によると、遙か山の上を通る車道と合流する辺りが峠のようだ。引佐峠は切り割りになった車道には出ないで、山道を登った所にあった。
南へ行くと天浜線浜名湖佐久米駅へ下る。北へ行くと道路で切断されているが尉ヶ峰へ登るハイキングコースである。姫街道は東から来て西へ下る。引佐峠はその十字路にあった。
登りよりも急な下り坂が続き、中でも急なジグザク道に『象鳴き坂』という名前が付けられていた。清の商人が広南国より朝廷に献上した牡の象を、京から江戸へ送るのに、今切を舟で渡ることが出来ず姫街道を通った。その折りこの長い急な坂道に、さしもの象も悲鳴を上げたということからの命名である。
少し下ると左手に大きな岩があった。『石投げ岩』である。岩の上に小石がたくさんのっていた。案内板によると峠を登り下りする旅人が、その岩に石を投げると無事に峠が越えられるという。早速石を探すが舗装された道には容易に石が見つからない。全員来た道を戻って小石を探して来て、無邪気に小石を投げることが出来た。
とうとう小雨が降ってきた。雨具を出すほどではないけれども、気が急いてピッチが上がる。『大谷一里塚』の碑も写真をそそくさと撮って先を急ぐ。今から峠に登るらしい中年夫婦と擦れ違う。
行き倒れになった円心という巡礼の墓のある『六部の森』も素通りして、最後のスタンプのある東名高速三ヶ日インター前の地元農協経営『ミカちゃんセンター』に入った。ぱらつく雨を避けてそこで態勢を立て直そうと思った。『姫街道』スタンプ『三ヶ日宿』を押した後、結局そこで昼食にした。
(姫街道2日目つづく)
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