自分古文書(17)東海道五十三次ウォーク(番外 姫街道)(7)

本坂一里塚

2026.4.27

解読版の冊子化で、次は鈴木牧之の「上越秋山紀行」を選んだ。読んで面白そうなものと考えると、どうしても紀行ものを選んでしまう。今回はかなり遠方のものであるが、読んで面白かったので選んでみた。

東海道ウォーク 番外姫街道も、3日目である。「東海道ウォーク」もここで終わりとなる。

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 終わりは本坂峠を越えて豊川稲荷へ初詣

姫街道( 三ヶ日宿 → 豊川稲荷 )

日時 平成8年1月27日(土) 快晴、後時々くもり

いま巷では、昨年末のWindows95のフィーバーに続いて、インターネットブームが起きている。体験してみないと話にならないと、先週から自分でもインターネットに加入し接続に取り組んできた。苦労してやっと日曜の朝四時に繋がった。しかし、まだ不安定でスムースに繋がることが少なく、繋がってもすぐに切れてしまうなど問題は多い。とにかくこの一週間インターネット疲れでぐったりだと皆んなに話した。ボケ防止にパソコンをやっている熟年も多いという話に、鈴さんがどのくらいの費用がかかるのかと聞いていた。今は本当に安くなっているから買ったらどうかと勧める。

和さんは先日大札山に登ったが、そこで会ったおじさんが、そこから浜松のアクトタワーが見えると話していた。それらしき物が確かに見えたが、大札山から浜松が見えるはずはないと思ったという。アクトタワーに上がって大札山が見えたら、きっと大札山からも見えるはずだとは、答えにならない答えであった。

浜松駅のバス停でバスを待つ間に、白いジャンパーのおじさんが話しかけてきた。やはり姫街道を歩いているという。磐田から歩いて来て、今日は我々と同じ三ヶ日から本坂峠を越えるのだという。我々以上に道草が多いらしく、今日も浜名湖岸のマンサクの名所に足を延ばすという。後日調べて見ると、三ヶ日町鵺代の『乎那の峰』に、およそ三百株のマンサクが群落をつくり、静岡県の天然記念物になっている。ところが、なぜか白いジャンパーのおじさんは我々の乗るバスには乗らなかった。

運転手に尋ねるとバスは三ヶ日駅には寄らないという。前回のコースと繋ぐために、姫街道上の三ヶ日バス停で下りる。

前回と踏み跡を繋ぐために、三ヶ日郵便局まで戻る。実は前回取れなかった風景印の期待をしたのだが、今日も郵便局は休みであった。局前の東海道のサインを確認した。あとから思うにこれが最後の東海道のサインであった。前回は雨に追われて慌てて写真を撮り先を急いだので、改めてここへ記録する。

気賀宿 9.7km →【三ヶ日宿】 → 嵩山宿 10km

ここの秋葉灯籠には立派な鞘堂が造られていた。鞘堂の中に入ってしまっては灯籠の役を果たさないだろう、とは和さんの余計な心配であった。

街道にある立派なお寺『華蔵寺』に立ち寄り一休みする。古いお寺で、大日堂や観音堂など古いお堂が狭い境内を埋めていた。 華蔵寺を出たところに板築駅の標識があった。大地震で東海道の猪鼻駅が崩壊し、湖北コースが官道となった時、10年間だけ本坂峠の東麓に設けられた古代の駅である。この短い間に、橘逸勢がこの地で落命し、唯一記録に残った。街道沿いに橘逸勢のお墓があるという。

三ヶ日の町で昼食を買いそこね、本坂峠を前にして昼食の無い事態を生じた。食料調達の場所をさがし求めて、道路沿いにただ一軒のミカンの直売所を見つけて中に入る。スナック菓子くらいしか無い所に、肉まんと餡まんが湯気を上げていた。早速ミカン一袋と共に購入する。昼食のごまかしにはなるであろう。街道は車道から北へ外れて登り、また下りて車道に合流する。外れた道の最高地点に本坂一里塚があった。三叉路の角に『旧姫街道一里塚』と刻まれた三ヶ日町教育委員会の石碑があった。

さらに旧街道は、車道から今度は南に外れて、本坂の村に入る。いかにも山家の宿場の面影を残す家が軒を連ねる。一軒で犬が激しく吠えたてるので脅かそうと近づくと、タイミング良く家の主人が出てきて危うく止まった。道端に高札場の礎石の石組が残っているのは珍しいものであった。側に秋葉灯籠と鞘堂がある。この辺りの秋葉灯籠は似たような立派な鞘堂が造られている。

東海道五十三次ウォーク 姫街道、三日目つづく

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