大阪の同級生K氏を見舞いに行く
2026.6.15
今朝早く目が覚めたので、気になっていたサッカーワールドカップ、初戦オランダ戦を見た。前半30分ほど経過していて、まだ0対0だった。最終結果は2対2の引き分けで、日本はよく戦ったというべきなのだろう。今日、オランダ訪問中の天皇ご夫妻はどんなふうに受け取られたのだろう。オランダ国王とそんな話題が出るのであろうか。引き分けは最も対応しやすい結果だったかもしれないと思った。これは下々の感覚かもしないが。
(オランダ国王の発案で、両夫妻4人でテレビ観戦されたと後で報道で知る。)
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(昨日の続き)
13日(土曜日)朝、バイキング形式の朝食後、9時ホテルを、I氏とともに、ひょっとこ踊りのH氏の車に乗せて貰い、明石へ行く。H氏から50年前の「霧」(同人誌)の話を聞いた。昔の文書を整理していて「霧」が出て来たと聞いた。そうか、あの時「那智憲三」のペンネームで投稿してくれたのはH氏だったと思ったが、確認しなかった。何にしても昔の話である。
I氏とH氏はI氏の農業講座に同級生のH氏が参加するようになって、師弟関係で交流があるのだという。
但馬の道路状況も随分と変わって、どこでもあるようなトンネルばかりの道で、和田山へ出た。但馬の風景は見ないで過ぎたような感覚である。播但道で姫路へ出て、バイパスで明石へ向かう。山陽へ出ると道が随分と混む。ここでも山陰は過疎、人は山陽へ流れが止まらないのだろう。
西明石駅前で車を降り、電車を4回程乗り換えて、K氏の今住んでいるマンションへ向かう。枚方駅前で昼食代わりに巻きずしを食べ、最寄りの駅へは2時ごろに着いた。
枚方駅からI氏が電話してあったので、駅前に迎えに来てくれると聞いたが、駅には誰もいなかった。駅頭に立つと、「手を振っている」とI氏が気づき、「本人もいるよ」と驚いたように言う。自分は気づかなかった。
何と、奥さんが付き添い、思いもしなかった本人がステッキを付いて立っていた。「どうしても自分も行くと言って、一緒に来たんですよ」と奥さん。背が高くほっそりしていて、マスクをしていて表情はよく知れなかったが、「自分が判るか」と聞けば頷く。「右目がよく見えないが分かる」という。
歩き方はゆっくりだが、自分の足で歩けるようになったようだ。マンションの部屋にエレベーターで向い、部屋でマスクを取ると、痩せて随分年寄りに見えるK氏がいた。
てっきり車椅子の生活かと思ったいたから、ここまで回復してくれて、涙が出るほど嬉しく思った。もともと言葉数は少ない方であったが、まだペラペラとしゃべるわけにはいかないようで、おしゃべりは奥さんがもっぱら答える。本人は話は分かっているのであろう、にこにこして、たまに声を出して笑う。「こんな声を出して笑うような夫(ひと)ではなかったんですよ」とは奥さんの言葉。
K氏は若いときに科学分野で博士号を取っている。I氏がその証書を見たいというと、K氏が出してきた。「これは額にでも入れて飾っておくものですよ」とはI氏。「博士号を取っても何の役にも立たないですよ」と奥さん、K氏は笑っている。
55歳でN電気研究所を退職、「後はずっと遊んでいた」と奥さんは辛辣。K氏は関西百名山の一覧を出してきて、全山踏破したと話す。
心臓が原因で血の塊を脳に送ってしまい、脳血管で梗塞を起こした。一時は要介護5であったのが、今測り直せば、要介護は1だと言われた。こんな回復例はまれだと聞いた。病院から自宅マンションに、まだ無理だとの言葉を振り切って帰ってから、食欲も進み、当時45キロだった体重も、今では65キロまで増えて、ぼちぼちながら歩けるようにまで回復したと聞く。
2時間ほどお邪魔して帰る。帰りも駅まで送ってくれる。明石へ帰るI氏とは枚方駅で分れた。
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