「蕉園渉筆」(漢文)を読む(14)平田寺文書
2026.7.9
午後、掛川古文書講座へ出席した。当講座で今まで解読してきた古文書の中で面白そうなものを選んで、冊子を作られるという。次回からは、過去分の再読と、皆で校正をするのだという。
講座で、発言して、江戸時代の経済の話をされた受講者がいた。受講者には初心者の方も多い中で、言葉足らずにそんな話をしてみても、何のことやらほとんどの受講者は理解されていないに違いない。ここは歴史講座ではなくて、古文書解読の講座である。場を弁えるべきだと思った。
講座が終わって、前の席の人が江戸時代の百姓の生活はどんな風だったのだろうと、自分に聞いた方がいた。一言では説明できないから、駿河と越後の山の暮らしを記した「大井河源記」と「上越秋山紀行」のそれぞれ解読版を次回に差し上げると約束した。
「蕉園渉筆」解読の続きを載せる。
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(原文)
平田寺文書
平田村、平田寺、蔵天平感宝元年閏五月廿日詔書、按天平感宝孝謙元年
四月二日改元、斯年又改天平勝宝、不詳月日、蓋閏五月後、続日本記に、
詔捨大安・薬師・元興・興福・東大五寺、施綿布稲墾田地、其数及年月日
同而文亦似之、詔則五寺所賜之一也、何故蔵此乎、押天皇御璽三十、
書酷肖唐人、詔尾勅字、蓋震翰也、橘諸兄、藤豊成、大僧都行信三人、
名書体共殊、是亦自運、豊成二字最絶妙矣
(解読)
平田寺文書
平田(ひらた)村、平田(へいでん)寺、天平感宝元(749)年、閏五月廿日の
詔書(しょうしょ)を蔵す。按(あん)ずるに、天平感宝孝謙元年四月二日改元、
この年また改め、天平勝宝、月日は詳(つまび)らかならず。蓋(けだ)し、
閏五月の後(あと)なり。続日本記(紀)に、詔(みことのり)、大安・薬師・元興・
興福・東大、五寺に、捨(しゃ)す。綿布、稲、墾田地施(ほどこ)す。その数及び
年月日同じうして、文またこれに似る。詔(みことのり)、則(すなわち)五寺これを
賜う所の一つなり。何故(なぜ)これを蔵すや。天皇御璽(ぎょじ)を三十押し、
書酷(ひど)く唐人に肖(に)る。詔尾(しょうび)勅字(ちょくじ)、蓋(けだ)し震(宸)翰なり。
橘諸兄(たちばなもろえ)、藤豊成(藤原豊成)、大僧都行信三人、名(な)の書体(しょたい)
共、殊(こと)に、これまた自運(じうん)。豊成二字、最も絶妙なり。
(語注)
※ 捨す(しゃす)➔ 寄進する。
※ 詔尾(しょうび)➔ みことのりの末尾。
※ 勅字(ちょくじ)➔ 天皇の直筆。
※ 宸翰(しんかん)➔ 天皇自筆の文書のこと。
※ 橘諸兄(たちばなもろえ)➔ 奈良前期の官人・歌人。母は県犬養橘三千代。光明皇后の異父兄。初め葛城王。のち、臣籍に降り、橘宿禰諸兄と改めた。藤原不比等の四子が病没したのち、右大臣・左大臣に昇り、政権を握ったが、藤原仲麻呂の台頭後は振るわなかった。
※ 藤原豊成(ふじわらとよなり)➔ 奈良時代の貴族。藤原南家、左大臣・藤原武智麻呂の長男。官位は従一位・右大臣。別名難波大臣、横佩大臣。
※ 大僧都行信(だいそうずぎょうしん)➔ 奈良時代、元興寺の僧。聖徳太子著『法華義疏』などを法隆寺に寄進。大僧都。著『仁王経疏』。
※ 自運(じうん)➔ 書道で、自分の創意でもって自由に筆を運ぶこと。また、そうして書いたもの。
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