自分古文書(18)小澤寛峰著「島田市北方の山々」(6)

庭のデンドロビウム

2026.5.4

島田市北方の山々の続きを載せよう。

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 半分も下ったろうと思われる頃であった。左手の蜜柑畠に二三人のおばさん達がいた。蜜柑を取り終わって、帰り支度をしているというような女の人達であった。皆姉さん被りをし、紺絣の着物を着、もんぺを穿いた、あのきりゝと赤襷を掛けた女の人達であった。

 と、その中の一人が自分に声を掛けて来た。

 「五時のバスですか」

 「そうです」自分はやっぱり五時何分のバスがあったと安心しつゝ、「間に合いましょうか」と尋ね返した。

 「さあ、ちょっとお急ぎなさい。まだ割にありますから(道程が)。でもなんとか間に合うでしょう。」

 自分は礼を云い、そこからは駆足にした。

 それからものゝ五分も駈けた頃であろう。後から自転車で来たのは今し方声を掛けて下さった女の人であった。その人は自分の傍で止ると、自転車から下りつゝ、よかったらこれに乗ってお行きなさいと云うのであった。云いつゝ、もう荷台の背負い篭を下しにかゝっていた。

 「でも、それでは申し訳ないですから‥‥‥。駈けて行きますから。」

 「いえ、いゝんです。ここからまだ大分あるんですよ。歩いていては間に合うかどうか分りませんから、よろしかったらどうぞどうぞ」

 と押し着けるようになさる。自分も、その急(せ)かせる調子に何か連られて、ではと、借りる気になってしまった。

 「そうですか‥‥‥」などゝ、でもためらっていると、

 「自転車は停留所前の菓子屋の塀に凭れさせておいて下さればいいゝですから」

 と早や自転車を手渡して下さる。自分もそれらの言葉に甘えてしまって、借りてしまった。「お急ぎなさい」という言葉を後にして。

 農道と云っても、石ころなどもあり、急いで下る自転車は、ぼこんぼこんと弾んだ。成程相当の距離であった。これでは歩いたら三十分では利かないと思った。

 バスはすでに入って来ていた。五分ほど経って発車した。五時五分は十分の発車であったであろう。終車一つ前のバスで、終車迄には一時間の余の間があった。

 結局そのバスで今回は、島田駅での列車の連絡もよかったのであった。親切な人もあったものであった。お蔭で先回のような風邪引きもしなかったのであった。

 ところで、自分は借りた自転車を、云われた侭に、菓子屋の石塀に凭れさせておいたものであったが、迂闊にもその人の名前も所番地も聞かないでしまったのであった。御礼もろく/\云わなかったのであった。女の人は一日働いた後を、三十分も或いは四十分も、上滝沢まで歩いた事であろう。見知らぬ自分などの為にであった。

(続く)

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