小島蕉園著「蕉園渉筆」(漢文)の読む

静岡城北公園のあじさい
(19日撮影)

2026.6.22

「自分古文書」も随分と色々掲載してきた。まだまだ載せたいものもある。ただ、この辺で少し志向を代えて、漢文を読んでみたいと思う。といっても、自分は学校で数時間だけ、漢文を学んだ経験があるだけで、どこまで読めるか分からないが、幸いと古文書の解読の中で、擬漢文と呼ばれる漢文的に後ろから読むような文書をたくさん読んできた。また、古文書中にも、頻繁に漢文がそのまま引用される部分もあって、否応なく漢文も解読してきた。今回は全編漢文で、ハードルは高いが、ぜひとも読んでみたいものがあって、チャレンジする気になった。

その漢文は、小島蕉園著「蕉園渉筆」という書物である。その全文が「静岡県史」と「相良町史」のそれぞれ資料編に載っている。但し漢文で読める人は少ないと思う。その解読したものはどこかにあると思うのだが、その極一部をネットなどで散見するだけで、未だ見つけられていない。ならば自分で解読版を作れば、誰でも内容を知ることが出来る。これがこのチャレンジの動機である。

小島蕉園著「蕉園渉筆」は、漢文といえども日本人の書いたものだから、そんなに複雑な構文にはなっていない。おそらく、漢文を解読する立場で書かれているから、意外とやさしいのではないかと思う。読み方はかなり我流になると思うけれども、ご容赦願いたい。

小島蕉園(こじましょうえん)は、 江戸時代後期の旗本で、昌平坂学問所にて学んだ。晩年、田沼意次失脚後、一橋徳川家の管轄になったが、赴任した代官が問題を起こし、かって甲斐国田中代官として善政を布き、評判の良かった蕉園が、遠江国波津陣屋代官に抜擢された。三年の約束の代官であったが、蕉園は三年目に入ったころ、現地(相良)で病死した。

蕉園「蕉園渉筆」の冒頭にこんな風に書き始めている。

(以下茶色文字は、原漢文、「静岡県史」及び「相良町史」を参照す)

(表紙)

蕉園遠州奇談 此書世に伝ふる稀也

蕉園渉筆
文政六年癸未四月、余之始入遠州也、爾来三歳、其所見聞、
不論雅俗、不問信(真)偽、任筆而「記」(訂語)。積成冊子、官暇浄
謄、以為帰日談柄云、乙酉(文政八年)八月二十八日、藤彝公倫識

(以下、黒文字は読み下し、紫文字は読みと注。太文字は語注あり。)
蕉園渉筆

文政六年(一八二三)癸未(みずのとひつじ)四月、(よ)の遠州に入る始めなり。

爾来(じらい)三歳(年)、その見聞きする所、雅俗(がぞく)を論ぜず、

真偽(しんぎ)を問わず、筆に任せて記す。積みて冊子になる。官暇(かんか)

浄謄(じょうとう)以為(おもえらく)、帰る日談柄(だんぺい)と云う。

乙酉(きのととり)(文政八年(一八二五年))八月二十八日、

                    藤彝公倫(蕉園の別名)(しる)す。

(以下紫文字は語注)
※ 渉筆(しょうひつ)➔ 書き及ぶ。
※ 余(よ)➔ 自称。私。
※ 爾来(じらい)➔ それからのち。それ以来。
※ 雅俗(がぞく)➔ 上品なものと俗っぽいもの。風雅と卑俗。
※ 官暇(かんか)➔ 朝廷や役所からもらう休暇。
※ 浄謄(じょうとう)➔ 写して清書すること。
※ 以為(おもえらく)➔ 思っているのには。考えていること。
※ 談柄(だんぺい)➔ 話の種。話題。
※ 藤彝公倫()➔「彝」も「公倫」も蕉園の別名。「藤」は、藤原姓小島氏の氏族を示す。

次回より、本文に入る。

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