投稿

自分古文書(16)遠江三十三観音巡礼(8)

イメージ
第十番  八形山  蓮華寺 2025.12. 26 今年も残り少なくなった。この巡礼の記録は、確実に年を越す。それにしても、このピンボケ、元の写真があるはずながら、探すきっかけがつかめない。これも年を越しそうだ。見つけ次第、ピンボケ写真は入れ替えよう。  桑原黙斎の「大井河源記」の解読版の作成は、四分の一位まで来たか。講座にも使い、解読が出来なかったところが、新しい解釈で埋められそうなところもあって、なかなか面白い。   平成5年5月29日の分の続きを載せる。   【歩程】蓮華寺へ、東へ4.3キロ 蓮華寺までは車道で間違いようのない峠道だった。天候は下り坂どころか、日差しが強くなり暑かった。一つ峠を越え、伏間川を渡ってもう一つ峠を越す。その峠は陣屋峠と標識があった。蓮華寺は峠を下って街へ出て再び入った山懐にあった。 蓮華寺は別名「はぎの寺」と言われるように、萩が狭い境内を更に狭くして植えられていた。住職の話では、萩は春から秋にかけて次々に咲き、今はセンダイハギが咲いていると言う。境内を探すと、なるほど小さな株に黄色い花が咲いていた。 第十番 天台宗 八形山 ( やがたざん ) 蓮華寺 (れんげじ)     はちす葉や なにあう寺の  法 の声 雲井にひびく 入相の鐘 【本尊】聖観世音菩薩   【所在地】森町大門 【歩程】歴史民俗資料館へ、南へ0.2キロ 蓮華寺を出たすぐの所に、歴史民族資料館があった。旧周智郡役所の建物をこの地に移築して、古い民具を集め展示されている。入場無料につられて、木造の建物に靴を脱いで上がる。館長さんであろうか、白髪を後ろで束ねた老人が説明をしてくれた。我々が金谷から来たと聞いて、森町は西の金谷といわれ、鍛冶職が許されて、金谷とも縁がある、また、焼物も森山焼は、金谷の志戸呂焼の弟子がこちらに来て興したと聞いている、と話題にした。 一回り見学して戻って来ると、手回しの蓄音機で古い流行歌を聞かせてくれた。レコードに針が擦れる懐かしい音に、思いが込み上げてくる。故郷の家にもこんな蓄音機があり、ひび割れ部分がゴトゴトと音をたてる、古いレコードを聞いた記憶が蘇った。 【歩程】長源庵へ、東へ四.四キロ 周智高校の傍を通るとき、農業高校だったころに茶工場があり、修理に来...

自分古文書(16)遠江三十三観音巡礼(7)

イメージ
岩室山 清滝寺観音堂 (廃寺跡) 赤いのが早嬢  2025.12. 25 明日こそ明日こそと思いながら、中々年賀状に取り掛かれない。 古文書を、古文書解読の素養がなくても読めるように、解読版を作ろうと思って、まず「歳代記(幕末編)」「 歳代記(明治編) 」と冊子に作って、三冊目に、 「大地震能記」を昨日完成して、今日より「大井河源記」に取り掛かった。B4版で60ページ位になる予定で、しばらくかかりそうだ。 「大井河源記」は解読したものがいくつかあるけれども、そのどれよりも、解りやすくしたいと思っている。一ヶ月くらいはかかるだろうか。 「遠江三十三観音巡礼」の三日目である。二日目から1ヶ月半経って、今回はゲストに若い女性が加わった。巡礼団の雰囲気がいつもと違うようだ。   巡礼団紅一点を加え、峠を幾つも越える   遠江三十三観音巡礼③   第九番 岩室山清滝寺 ~  第十二番 神宮山長源庵   日 時  平成5年5月29日(土) 天候 晴れ暑し 少し暑くなったが、ゲストに早嬢を迎えて、第三回目の観音巡礼を実施する。天候は下り坂だが、日のある内は何とか雨は無いとの予報だった。菊川駅でピンクのジャンパーの早嬢が合流する。 今回は、個人的には体調があまり良くない中での巡礼であった。食料の調達がママならないと思われたので、女房に頼んでおむすびを作って貰う。 JR掛川駅を出てすぐに天浜線に乗り換える。二両連結の列車は高校生でいっぱいだった。遠州森駅でほとんどが降り、我々の坐った後方車両には、我々だけが取り残されてしまった。そこへ車掌が来て前の車両に移れと促される。後ろの車両を切り離すのかと見ていると、ステップや幌は縁を切ったが、連結は離さずに出発した。 遠江一宮駅(天竜浜名湖鉄道)のホームに下りて、電車の前で線路を渡ろうと待っていると、運転手が先へ渡れと促す。我々が駅舎に入るのを待って、電車は出発して行った。 駅頭の公衆電話から、無住の清滝寺のご朱印を預かる「藤見さん」の家へ電話を入れる。お寺の300メートルほど手前だから、寄ってくれとの返事。ひとまず安心して歩き始める。駅前の看板に「あじさいの寺・極楽寺」の表示があったので、順路から少し外れるし、まだあじさいには早いけれど、様子を見に立ち寄ることにする。 【歩程】清滝寺へ、北へ4.0キロ...

自分古文書(16)遠江三十三観音巡礼(6)

イメージ
   遍照寺の大仏(現在、ネットより拝借)   森の鋳物師山田七郎左衛門種次の銘ありという 2025.12. 24 今日はクリスマスイブ。もちろん当家にはサンタクロースは来ないし、出ることもない。孫はいるが、他家である。大きくなってクリスマスプレゼントの要請もない。当家の宗教は多分仏教だから、 「遠江三十三観音巡礼」 (平成5年4月18日、巡礼2日目) の続きを載せる。 【歩程】西楽寺へ、北東へ1.3キロ 再び森街道に出た角の「あさひや」で、昼食に助六と柏餅を買う。昔、西楽寺は大伽藍だったのだろう。遙か手前に、まず薬師堂がある。遠江四十九薬師霊場の第三十七番とある。本堂はかなりの北へ進んだ正面にあった。途中幾つかのお堂の傍に、「西楽寺の大マキ」が幹の裂けた箇所をモルタルで塞がれて、何とか生きていた。本堂で昼食をとろうと話して来たが、ただいま改修工事中で遠慮した。 【歩程】遍照寺 へ、北へ1.5キロ 西楽寺をあとにし、山梨の往還からかなり西に入った田んぼの中を、15分ほど歩いて、春岡神社の赤い鳥居のそばの草地で、昼食を取った。やしろは田んぼの中の参道を東へ入った山の麓に見えている。神社の名前が季節にマッチして大変良い。 高平山遍照寺は小高い岡の上にあり、坂が割合厳しい。今朝から左足の付け根に痛みを覚えてきたが、この坂はこたえた。途中の路端にスミレが咲き乱れている。帰りには和さんが少し採取した。あとで図鑑を調べたところ、紫の花で丸い葉のナガハシスミレ、淡紫の花のスミレサイシン、白い小さな花のフモトスミレの三種類であった。 本堂の脇に大日如来の大仏が鎮座していた。開眼いらい二百数十年経つというから、江戸時代のものである。良くみるとかなり補修もしてあるが、明治の廃仏棄釈の嵐にも耐え、この大戦に供出にもならずに、良く残ったものだと思う。 受付口に大黒さんがいて、ご朱印を押してくれた。山の上にいると会話に飢えるのであろうか、しきりに話しかけて来る。みんな悠々自適でいい、とか、歩くことは良いことだ、などと。 第十一番 真言宗 高平山 ( たかひらざん ) 遍照寺 ( へんしょうじ ) 内                          観音寺 (かんのんじ)       宝をば ぐぜいの船に つみおさめ  五色...

自分古文書(16)遠江三十三観音巡礼(5)

イメージ
山崎久麻呂の記した安政大地震の記録 「大地震能記」の解読版 2025.12. 23 掛川 遊家の 山 崎久麻呂の記した、安政大地震の記録「 大地震能記」の解読版が出来た。12ページほどのものだが、中々興味深い。どこかでテキストにもしたが、決定版ということにしたい。読み返しながら、自分の解読間違いを幾つか見つけた。古文書解読も中々奥深い。 「遠江三十三観音巡礼」の二日目である。一日目から2ヶ月経過している。 巡礼団桜吹雪の中を行く    遠江三十三観音巡礼②    第8番 月見山観正寺 ・ 第11番 高平山遍照寺  日時 平成5年4月18日(土) 天候 曇り後、遅くなって晴れ 皆の予定が合って、漸く2回目の観音巡りが実施出来た。天候は曇りだが快復方向にあるという。1回目の経験で、歩行距離は1回20キロが適度の距離だということが判った。当初7回で一巡する予定を、少し延ばして、1回の距離を減らすことにした。その結果、第2回は袋井駅から天浜線の遠江一宮駅までとし、札所二ヶ所しか回れなくなった。その代わり、2キロ置きくらいに番外のお寺などを配して、長時間の歩きにアクセントを付けた。 【歩程】宗円寺へ、北へ一.七キロ 歩き初めてすぐ、駅前の緑地帯の中に句碑を見つけ足を運ぶ。       冬枯れの 中の家居や 村一つ   子規 正岡子規が東海道線でこの辺りを通った折りに作った句だと説明にあった。「家居」をどう読むのか判らず帰宅後広辞苑で調べた所、「いえい」と読み「家を作って住むこと、あるいは住居」とあった。 出来るだけ忠実に昔の巡礼道を辿る。原野谷川の土手では、桜並木がようやく散り始めていた。睦美橋を渡り、十二所神社の所から旧秋葉道の横丁へ入る。幼稚園児の集合場があり、集まっていたお母さん方に挨拶する。そばに、輪を沢山付けたロープがあった。園児に輪を握らせて数珠つなぎに通園させるのだろう。旧東海道を横切り、国道一号線を渡った。 宗円寺は「川井の妻薬師」と呼ばれ、昔から近郷の 尊崇 を集めている。境内には東南海地震による袋井の犠牲者供養塔があった。昭和十九年、東海地方に巨大地震があった。戦争中のこと故、全て機密事項として、報道されることはなかったが、多くの犠牲者があったと聞く。自分を除く巡礼団それぞれに、その地震の記憶があり、子供の頃に大変驚...