自分古文書(2)「赤い発光体」7(終)

 
来日山から朝日と雲海(「但馬情報特急」より)
来日山は「赤い発光体」の舞台 
来日山頂からの雲海は見たが
朝日は見たことがない 

2025.8. 7

「赤い発光体」の最終回である。最後に1回から6回までのリンクを付けたのでご利用ください。「自分古文書」次回は童話。

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 三人はまた山を降り始めた。下るにつれて時々見える下界の事物が段々その大きさを増して来た。やっと麓に下りるとそこはうらぶれた山村であった。ほとんどが藁屋根の村には文明の光らしきものは、ほとんど皆無に等しかった。しかしその中の旧家らしい大きな構えの家の屋根には、これを見よがしにテレビのアンテナがふん反り返っている。こんな所でも映るのかしらという八重の質問通り、ほとんど映らないのではないかと思った。他人のことだからそんなに心配することはないと思い直しても見る。

 そんな思いをよそに、道は清らかな冷水の流れる小川に沿って、四方のうち、山が切れた一方向に伸びている。小川には動作のすばやい魚が一様に川上の方を向いて流れに逆らって泳いでいる。足音に驚いてか、蛙が川に飛び込み、流れに流されまいと得意の『蛙泳ぎ』を披露しながら、岸に向かって懸命に泳いでいる。空には赤トンボが数匹、いかにも呑気そうに飛んでいる。それらの光景は私の心の破れをつくろってくれる母のようであった。

 バスの通る道に出た時にはすでに太陽は西の山に傾き、夕焼けが空を真っ赤に染め始めていた。すぐそこにバスの待合所の小さな小屋があった。べたべた張られた宣伝ポスターの中に紛れている時刻表の金属板を見ながら私は言った。

 「ちょうどいい。もうすぐバスが来るから、あなた方はそれで帰りなさい。足を怪我しているんだし、ここから駅まで大分あるから」

 「井川さんはどうするの」と八重が尋ねた。

 「僕は往復切符を買っているから駅まで歩くよ」

 バスはすぐにやって来て止まった。

 「さよなら」という言葉とともに彼女たちは車中の人となった。

 バスを見送ってから駅に向かって歩き始めた。

 一人になるとまた忘れていたあの記憶が再現して来た。しかし今度は以前と違っていた。その記憶の上を彼女たちとの出会いから別れるまでの記憶がすっぽりと覆ってしまったからだ。氷を入れた氷嚢が直接氷に触れたときほど冷たくない様に、その記憶による苦悶は以前ほど私を苦しめなかった。それに今は自信という大きな熱源を得た。

 今まで自分を勇気のない、卑劣な、男の風上にも置けない人間であると思っていた。また内向的で、引っ込み思案な人間だとも思っていた。しかし今日はどうだ。勇気があるじゃないか。大きな決断力もあったじゃないか。内向的どころか、あのように彼女たちともすらすらと話せたじゃないか。私は自己暗示に掛かっていたのだ。そのために、あんな自分が現れたんだ。しかし今は違う。自信が湧いてきた。それは他ならぬ彼女たちがつけてくれたのだ。多賀子を自己暗示から救ってやった恩返しとして、彼女たちは私を自己暗示から救ってくれたのだ。今日助けられたのは、本当は多賀子ではなくてこの私だったのだ。

 自信という熱源はその氷嚢の中の氷をどんどん溶かして行った。苦しめ続けた氷は一つ一つ姿を消して行った。そして最後に一片の氷だけが残った。それは彼と仲違いをしていると一点だった。この最後に残った氷を溶かさねば、心の暗雲は晴れなかった。しかしほどなく自信という熱源はそれをも溶かし始めた。

 そうだ、私は何でも出来るんだ。今までどうしてこのことに気が付かなかったんだろう。彼にまだ一度も謝っていないじゃないか。彼の剣幕に圧倒され、いつもこそこそと逃げていたのだ。今日、これから彼の家に行って謝ろう。そして、彼が私を殴りたければ何発でも殴らしてやろう。それで彼の気が済むなら。

 ここまで考えたとき、心に今まで覆い被さっていた暗雲は一陣の風とともに飛び去り、心が澄み渡ってきた。とうとう最後に残った氷が融けたのだ。そしてその心には二人の女学生が友人として残っていた。

 私は胸を張り、全天を真っ赤に染めている夕日に向かって大きく深呼吸をした。深呼吸とともに心の底に溜まっていた汚物をすっかり吐き出してしまった。夕日はそういう私を称えるかのように私を真っ赤に染めた。私はその光をすべて吸収して、今度は私みずから光を放ち始めた。とうとう私は夕日に変わって、全世界を真っ赤に染める発光体となった。それは赤い発光体であった。赤い発光体は全世界をいよいよ真っ赤に染めながら胸を張って堂々と進んだ。

 山も川も家も空も夕日も、そして空を飛んでいる赤トンボさえも赤い発光体の前に恐縮し、赤面して平伏していた。赤い道は赤い発光体の花道となり、どこまでもどこまでも続いていた。

       完  (昭和39年8月)

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