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「スローライフな日々」(2004~2005日記)1

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ハマボウ群落 ( 仿僧川河口 ) 2025.10.31   「かさぶた日録」は2006年1月1日から始めて、2025年6月13日で終わる。続いて、「かさぶた残日録」を 2025年6月11日、自分の79歳の誕生日から始めた。この頃、自分古文書を色々探していて、いくつかの中途半端な日記らしきものに混じって、「スローライフな日々」と命名した日記を見つけた。「かさぶた日録」を始める半年から一年ほど前のもので、量はそれほど無いけれども、どうやら 「かさぶた日録」を始めるもとになったような日記である。 そういえば、 「かさぶた日録」を始めるにあたって、題名を一時 「スローライフな日々」と付けたいと思った時期もあった。しかし、平凡な銘々では検索時にブログの海に紛れてしまう。それで「 かさぶた日録 」と、けったいな、誰も付けない名前にしたのであった。それは大成功で、今の 「かさぶた残日録」に至るまで、検索すれば迷うことなく、このブログに至ることが出来る。 それでは、この日記は沢山はないので、プレ 「 かさぶた日録 」として御覧いただければ幸いである。   *******************************************************************   スローライフな日々 2004.7.18(日) くもり時々晴れ  また日記を書き始めようと思う。毎日は止めて、会社の話は出来るだけ止めて、プライベートを主に書いていこうと考えた。富士日記の影響である。題名は自然に浮かんできたものをそのまま付ける。どこかで聞いたような題だが、気にしないことにする。なお、日記だが毎日書こうと思わないことにしよう。  朝から女房と「はまぼう」を見にゆく。浜椿ともよばれる、ハイビスカスに似た花である。昔見た時と比べてそばに大きな水門が出来、周りがすっかり公園化されていた。肝心の花であるが、暑さゆえか反り返ってしまって写真に撮りにくい。 福田町教育委員会の案内板によると、 ハマボウ群落 ハマボウは、ここ仿僧川の上流へかけ、両岸に百五十本余りが自生する遠州灘では唯一の群落です。幹の太さでは、わが国最大のものといわれています。   黄槿、別名 ハマツバキ。熱帯性の海浜植物でアオイ科に属する落葉樹。フヨウ、ムクゲ、...

自分古文書(14)6年A組 36年目の同窓会(後)

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   日高町「阿瀨渓谷」 2025.10.30  もう10月も終わり、今年も残す処、二ヶ月である。  「自分古文書(14)6年A組 36年目の同窓会」を続ける。  *******************************************************************     6Aの坂※・坂※・上※・松※の『4つ葉のクローバ事件』の話題が出た。先生に一部の仲良しが固まってしまうのは良くないと注意されて、涙を出していたのを見た記憶がある。岸※良雄から、男どもにも『里見八犬伝の秘密』があったと暴露された。山王山で竹を切ってきて、それを小さく割って札を作り、『天』『地』『火』『水』などと焼け火箸で書き、皆で持って見せ合って、仲間を確認する遊びをした時期があったけれども、『八犬伝』とは文字が違うから、その影響ではないと思う。   長※学級では、男女の差別は一切無かったし、男女がグランドで相撲をとって、女子が男子より強かったのは有名な話で、職員会でも話題になったという。委員長にも上※幹代が選ばれ、副に西※幸二が選ばれたりした。「ところが北中学では---」と上※幹代が話す。男子の1番をA組から割り振り、女子1番をF組から割り振った。さらに、委員長決める段になって男子より委員長を、女子より副委員長を選ぶと先生から言われた。なぜ男女を差別するのかと抗議したところ、後からクラスの女子に取り囲まれて、生意気だとつるし上げられた。男子に言われるのは覚悟していたが、女子に言われて大変ショックだったと語った。   それに対して、加※賢二が女子だからショックだと言っているが、例え男子であっても彼女は同じことだ。とにかく必ず相手を作って、戦おうという性格なのだから、との厳しい指摘があった。その指摘には一瞬彼女を黙らせる迫力があった。   当時はおとなしかった浅※哲也が、永い間看病してきた嫁さんが亡くなって、今新しく20ほど年の違う女性と結婚間近だという話には、男どもの羨望と嫉妬の声を誘った。今日来れないのは彼女とのデイトのためかとやっかみの声も上がる。   上※幹代が僕を見て、憂いを含んだいい顔をしている。やはり責任のある取締役になったためであろう。それに引換え、岸※良雄は呑気な顔をしているという。何を言いた...

(まきのはら塾)来年度、講座開設の書類を提出した

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   「まきのはら塾」事務局(社会教育課)のある 牧之原市相良庁舎 (ネットより借用) 2025.10.29 まきのはら塾「古文書解読講座」、来年度、引き続き開設の件、今月末まで書類提出の注意喚起の電話を頂き、今日午前中に市役所へ出向いた。引き続き講座を継続することになった。まだ数年は出来ると思っている。 窓口で、来年より受講料が上がると言われた。今まで一回ワンコイン500円と了解していたのだが、来年からは700円になるという。えーー、と驚く。お金を頂く講師の側なのに、受講者の感覚であった。 値上げ決定の会合には参加していなかったので、いきさつは承知していないが、諸物価値上がりの時に、講師から値上げの要望が多く上がったのだろう。確かに、しっかりした資格を持ち、講師業を生活の糧にしている方々には、値上げは必至のことなのだろうが、自分は無資格、趣味、道楽の一部であって、今まで通りで十分だった。それよりも、値上げによって受講者が減ってしまうとすると、その方が残念である。 出来れば、500~700円と、講師が決められる幅が欲しかった。まあ、それは無理な話か。かく成る上は、200円分、何らかの形で受講者にお返ししたいと思う。ちなみに、金谷宿大学の受講料は、来年度は据え置きとなって、値上げはしない。もっとも、こちらは講座開設が減るかたちになるのかもしれない。 申し込みのあと、史料館にH氏を訪ねた。”べらぼう”の展示は、市内の竜巻被害のあと、めっきり見学者が減ってしまった。多分報道で、それどころではないだろうと思われたのかもしれない。確かに当初は被害者支援にかり出されて、忙しかったけれども、それも落ち着いた。今はその間に滞った事務処理をこなしていると言う。 知らずにいたが、牧之原市はこの間に市長選と市議選があって、町は忙しかったようだが。そろそろ講座のテキストの古文書も底をつくから、興味深そうな古文書があったらお願いしたいと頼んで帰った。 

自分古文書(14)6年A組 36年目の同窓会(中)

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夜は廊下で休む干し柿   2025.10.28 今朝は絶好の干し柿日和、雲一つない秋晴れだった。干し柿は、本日30個、昨日30個で、これで合計188個となり、干し枠がいっぱいとなった。まだ我が家の渋柿の木には柿の実が残っている。 トランプ米大統領が来日、高市首相と初会談があった。トランプ米大統領は高市首相の背後に、盟友故安部元首相を見ているし、高市首相もそれを利用している。だから、初会談は和やかに行われたようだ。その安部元首相を暗殺した山上徹也の初公判が今日あった。    **********************************************************    「6年A組 36年目の同窓会」の続き    京都で先生の還暦を祝って、6年A組同窓会を行ってから6年たった。次の同窓会を5年後行う約束が、自分の不注意から顎の骨を折って入院してしまい、6年目となったと、幹事役の中※正から挨拶があった。階下で散々さわいだ後、男どもの部屋に移って2次会を始めた。その間に意外な話、36年前の経緯がいま始めて判ったという話、等々が出た。   長※先生の初恋、武※久美子さんの話。久美子嬢は大阪の”いいとこ”のお嬢さんだった。経緯は聞き逃したが、二人で神戸大学の側の池辺りを散策したり、弁当を作って大阪帝国劇場に行ったりとデイトを重ねた。しかし、彼女は恋敵の友人に譲ってしまった。その友人は戦死したと聞いているけれども、彼女がその後どうなったかは知らない。半世紀近くたった今、久美子嬢はどうしているのか。今でも一度逢いたいと思っている。戦時中、夜、屋根に登って空襲をうけている様子を遠目にしながら不謹慎にも綺麗だなあと思って見ていたという話は、昔聞いて印象に残っているが、こんな秘話があったことは初耳であった。  上※幹代の恋愛。妻子ある編成局長までした男で、現在62歳。上に上がれずに挫折した時、一緒に行った鞍馬でこのまま一緒に死んでも良いといわれて感激し、この男を殺してはいけないと心から思った。今は月に1度位でセックスもなく、逢瀬を重ねていて、大変幸せである。その男の家庭を壊すことなど考えてもいないし、これ以上のことは決して望んでいない。何故なら、自分の父が女関係にだらしなくて、母を何度も泣かせ...

自分古文書(14)6年A組 36年目の同窓会(前)

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    現在の 、やまめ料理『阿瀬』 (ネットより借用) 2025.10.27   自分古文書も14文書目、今回は、今から30年前の小学校の同窓会の記録である。実名をそのまま記していたので、その2文字目を※印に置き換えた。今は知らない人でも、検索すれば誰か解ってしまうので、そんな配慮をした。 なお女性は旧姓を使用した。 先生はもう亡くなられたし、先生の奥さんとも連絡は途絶えた。外は同級生だから皆んな78歳~79歳になっている。もうそんなに気にすることもないか。   **********************************************************   6年A組 36年目の同窓会 と き  平成6年 11 月 12 日(土)~ 13 日(日) 天 候  晴れ次の日雨 場 所  日高町金谷 やまめ料理『阿瀬』 出 席  長※且人ご夫妻、加※賢二、岸※良雄、田※嘉彦、中※正、西※幸ニ、     秋※智子、粟※紀美子、上※幹代、坂※志津子、 脇※美子       記  録 【1日目】     9月末、『6Aクラス会案内』と書かれた茶封筒が来た。発信元は 坂※ 志津子、中を開くと案内状・名簿と共に、『日高町金谷 やまめ料理“阿瀬”』のパンフレットが出て来た。数年前の京都での同窓会が思い出される。行くことになるんだろうなあと思った。   江原駅ホームには新婚旅行の見送り客の一団がいて、避けて通る。はじめ皆の顔が判るかどうか心配だった。案の定、出迎え口でこちらに合図を送る男性がはて誰だったか? あんな同級生がいただろうか。改札を抜けて最初に目に入ってきたのが西※幸二の顔であった。これは忘れない。加 ※ 賢二もいた。頭の禿げかかったのは誰だったかしら(後で田 ※ 嘉彦と判明)。駅での待ち合わせの件を知らせる電話をくれた中 ※ 正もいた。皆んないいおっさんになった。車から奥さんが降りてきた。挨拶している所に、最初判らなかった男が近づいてきた。「先生?!」   坂 ※ 志津子、秋 ※ 智子、粟 ※ 紀美子、脇 ※ 美子(いづれも旧姓)の女性軍もいた。最も名前と顔がくっついたのは暫くたってからであった。まもなく岸 ※ 良雄が車で到着した。上 ※ 幹代...

久しぶりの班の常会

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    今の政治家は車座がお好き (ネットより借用) 「車座」でネットをしらべると やたら政治家が開く車座が出て来た  2025.10.26 午後一番で、久しぶりに近所の班の常会があった。(久しぶりの常会というのも変だが)日曜日の昼に開くのも珍しい。高年齢のお宅も増えたので、夜の会合は避けたのであろう。 定刻10分前に、会場の区の公民館に入った。公民館は畳敷きだったものが 、いつの間にか 半分板敷きに改装されていた。小さい椅子が準備され、 20人余りの人が それに腰かけて 車座 になり、すでに集まっていた。コロナ以来、こういった会合はことごとく中止になり、コロナ後も元には戻らなかった。だから、公民館に入るのも何年かぶりである。顔ぶれを見回すと、他所の班に紛れ込んだかと思うほど、見慣れぬ人ばかりであった。顔見知りだった多くの戸主が近年亡くなり、あるいは表へ出て来られなくなり、顔ぶれが変わってしまったのである。何とか何人か顔見知りを見つけて安心した。 用件は、来年班長が回り番のH氏は一人暮らしなのだが、一人暮らしの場合は負担が大きいから、班長は免除になるのではないかとの疑問で、その確認のための常会だった。   班にはそういうルールはなくて、ただ80歳以上の人は免除になるとの、暗黙のルールはあったような、そんな対応もしたような気がする。一度、少しぼんやりの男性が、年寄りに先立たれ、一人住まいになっていた時があったが、班内の親戚がカバーすることで、一年間、一生懸命役割を果たしてくれたこともあった。 一人暮らしは免除なのかとの疑問について、余程身体的に無理な場合は別だが、そういう決まりはないとの話に、H氏は班長を受けることになった。 80歳以上の人は免除のことは、そのまま生きるが、本人がやってくれる場合はお願いする ことになった。班長はそのことを明文化して残してほしいとの意見も出た。 今日は、自分は発言せずに、若い人たちに任せて置こうと決めていたので、一切発言はしなかった。 これで用件は済んだわけだが、来年は新年会を実施したいと班長から言葉があった。ご近所との交流を図るため、それは必要なことだと思った。何かの折りに助け合わなければならない御近所なのだから、班で集まる色々な機会を復活するのは大賛成である。 もっとも、来年は80歳になる自分と...

高市総理大臣、所信表明演説の熱気

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  10月24日高市総理大臣、所信表明演説  (ネットより借用) 2025.10.25  昨日、高市総理大臣の初の所信表明演説が国会であった。拍手とヤジが渦巻く、稀にみる熱気に満ちた、賑やかな国会であった。目覚めた国会とでもいうべきか。与党の拍手は所信表明が終わって、議場の解散になっても、高市総理が議場を後にするまで、終わらなかった。こんなことは珍しいらしい。 所信表明後の野党党首のインタビューがあったが、連立離脱の公明、旧体制に取り残された立憲ともに、旧態依然たる批判のみの発言に、多くの人が失望したに違いない。 今総選挙をやれば、自民党は離脱した公明票を上回る、若者たちの期待票が集まるに違いない。自民党の候補者は、はっきりと自分の政治家を志した時の思いを、忖度なしに述べるがよい。鉄板の公明票が失われることを嘆いていては、何も始まらない。おそらく、岸田、石破両政権とも、連立の公明党が足かせになって、身動きが出来なかったことが、歴然とするであろう。 21世紀になって、時代がだれも予想しなかった方向へ変化している。国民はそれをひしひしと感じているのにかかわらず、旧態依然として何も手が打てない政治に、国民、特に若い世代は、ほとほと嫌気がさしていた。 企業団体献金問題が、最重要課題と考えているのは、一部政治家だけである。 企業団体献金は、お金を出すのも、恩恵を受けるのも、選挙民には全く無関係で、物価の高騰や外国人の犯罪の方がよほど重大な問題なのだ。 高市政権は、維新と連立して、大きく舵を切った。国民は大きな期待を懐いたであろう。所信表明演説で述べた様々な課題が、どのように実現するか、選挙民は注視している。これから、外交日程を手始めに、臨時国会での攻防がその皮きりとなる。

旧ブログ「かさぶた日録」をどうしようか

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「かさぶた日録」から成った 二冊の「四国お遍路まんだら」 2025.10.24  今日もお天気が良いと思い、朝から高いところの渋柿を採り、干し柿の加工をした。ところが段々天気が悪くなって午後は雨になった。軒下で干したが、土日と雨が続くようで、カビを呼ばないかと心配である。本日は、50個の干し柿を作り、昨日78個を加え、128個となった。         ※        ※        ※         ※ 旧ブログ「かさぶた日録」は11月18日にgoo blogサービス終了とともに終わる。20年近く書き続けたものが消えてなくなるのはなんともつらい。他へ移すことも考えたが、すでに「かさぶた残日録」を初めてしまっていて、更新もしないブログを他へ移しても、意味がないと思った。 更新もしないブログをわざわざ見る人もいないだろう。移せば、移転先に迷惑をかけそうだ。ただ個人的には色々な思いもあり、20年分のデーターをすべて、自分のパソコンにワード版にしてコピーをした。7000日に及ぶ大量のデーターで、苦労したが漸く終わった。 これから、テーマを決めて何冊かの小冊子にまとめてみたいと考えている。パソコンにコピーしながら、テーマについて色々考えた。二度のお遍路については、かさぶた日録から、「四国お遍路まんだら」「 四国お遍路まんだら ふたたび 」という2冊、自費出版の本にした。それ以外に、何しろ大量のデータで、色々なテーマが浮かんだ。例えば、   〇 マイリーフカップ始末記   〇 愛犬ムサシの一生   〇 「超散歩」の記録   〇 近郊低山山行記   〇 九州出張見聞録   〇 中国諸事事情   〇 故郷帰郷の旅   〇 駿河一国百地蔵尊巡り などなど、いくらでも思い付く。古書も100冊以上解読してきて、その中、何冊分もかさぶた日録に解読文を載せて来た。それらを冊子にしてもよい。さらには、興味のある人には冊子を進呈するのもよいかもしれない。 これは中々大仕事になりそうだ。  

富士山初冠雪の日、干し柿を作る

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落葉後現れた色づいた渋柿 これを収穫には脚立が要る  2025.10.23   今日、 甲府地方気象台により、 富士山初冠雪が観測された。昨年より15日早く、平年より21日遅いという。 ようやく気温が下がり、天気が回復した。いよいよ干し柿の季節である。植えた覚えのない渋柿が成るようになって、早や三年。渋柿の木が二本、落葉すると、たわわに稔った柿の実が現れた。すでに赤く色づいている。まだ渋かろうに、鳥がつついたものもある。肥料も摘果もしないので実は小さいが、干し柿には出来る。今日から狙う鳥たちと競争である。 渋柿の皮を剥く   渋柿は皮を剥いて熱湯に一分漬けて消毒殺菌し、ひもで吊るして干す。最初、表面の水分を速やかにとばすのが、黴させないコツである。だから天気の良い日に作るのが必須なのだ。北国ではそんな気を遣うこともないが、暖かい静岡ではここを間違うと黴だらけにして失敗する。夜は家に入れて夜露など受けないように気を使う。朝に日当たりの良いところに出し、一日中日差しを追って異動させる。 雨になると、家の中に置く。出来れば、扇風機に当てたりすればよいのだろうが、そこまでは気を使ったことはない。10月末ともなれば、天候も安定するから、雨はそんなに続かない。 以上のことから、必須なのは干し場が簡単に移動できることである。我が家では子供用の卓球台の足であった鉄枠がその役割を果たし、あっちこっちと簡単に移動出来ている。  日差しを浴びる干し柿 午前中と午後いちで、78個の干し柿を作った。午後からはよい日差しで、干し柿が日光をいっぱい浴びている。 78個も柿の皮むきをすると、指が動かなくなるので、残りは明日にした。

自分古文書(13)「六日目」

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  今や、書店のレジもセルフレジ (ネットより借用)   その書店も次々に閉店していく    2025.10.22 この当時、色々な作風を試すように、書いてみている。この作もまた違ったかたちである。もっとも、作家になろうなんてことは露ほどにも思わず、自分の可能性を自分で試しているに過ぎなかった。 *******************************************************   六 日 目 ―  この一編を、ある美 ( うま ) しきレジスターガールに捧げる  ―  これは私のまだ結婚する前のお話しです。  その頃、私は街のスマートな書店のレジスターガールでした。ご存知の通り仕事は単調なものですが、それでも毎日楽しく働いておりました。ガチャ、ガチャ、ガチャ、ピーンと飛び出すレジ。そのリズミカルな音は陶酔さえも呼びました。そして私は「毎度ありがとうございます」という空虚な矛盾に満ちた言葉を小鳥が歌うように称えるのです。  自分から申すのもなんですが、人は私を美人だ、美人だと言いますし、そういうことは容易に認めたがらない同僚たちさえも、それを認めていました。それで、いつか自分でもそう思い始めていたのだと思います。私はそういうことを鼻にかけることのないよう、随分自分を諌めていたのですが、自慢に想う心は隠しきれなかったようです。けれどもそれも無理はなかったのです。何しろ、若い男の方は私を見ると急にどぎまぎして、お釣りも受け取らずに帰ろうとなさることも度々でしたし、ある程度お歳を召した方は、まるで美しい花でも見るように私をうっとりとご覧になるのが常なのですから。何度かお茶に誘われる方もいらっしゃいましたけれども、その度に私は丁寧にしかしきっぱりとお断り致しました。文を付ける方も幾人かいらっしゃいました。しかし大抵は封も切らずにその夜のお風呂の焚き付けになりました。恋心など知らないくせに、変に世間智にたけているような私だったのです。端から見ると私は美人を鼻にかけ、お高く止まった、ガードの固い女と映ったことでしょう。  あの方を初めてお見受けしたのはそんなある日の昼下がりのことです。あの方はすうっと私の前にお立ちになり、黙って一冊の本をお出しになりました。そのお顔は凛々しく気品に満...