自分古文書(20)ファミリー山行(8)経塚山
2026.10.30
先日、吉田の古本屋Tさんから借りて来た書簡を、漸くコピーし始めた。一通でB4に二段で2ページになった。画像の加工をし始めたが、慣れた加工ソフトは、前のパソコンとともになくなってしまったので、新しいやり方を見つけ、更にそれに慣れるために半日かかって、漸く一通だけ加工出来た。
早速解読をしてみるが、駿河の田中城から千葉までどのように移動して行ったのか、知れて大変興味深い。これは歴史に1ページを加える価値があるかもしれない。ただ10数通ある書簡を同様の処理をするかと思うと気が遠くなる。まあ、コツコツとがんばろう。
「ファミリー山行」の続きを載せる。
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ファミリー山行 (8)経塚山 669.9m
ー 4時間、単独、スピード山行 ー
月 日 昭和58年2月27日(日)
天 候 快晴、風はなく春近しの感あり。
同 行 なし、単独
行 程 五和駅(7:47)➡ 神尾駅(7:54)➡ 地蔵峠(8:10)➡
神尾山との分岐(8:55)➡ 福用との分岐(9:05)➡
経塚山山頂(9:25~9:40)➡ 福用分岐(9:50)➡ 神尾山分岐(10:05)➡
神尾山(10:23)➡ 神尾山下鉄塔(10:30)➡ 林道(10:45)➡
長者ヶ原(11:15)➡ 自宅(11:50)
感 想 Oさんが午後来るので、午前中で行って来れる経塚山へ挑戦する。神尾の駅から登って、長者ヶ原経由、自宅まで4時間で歩こうと思う。スピードを要するので、初めて単独行とし、三脚を持った。
神尾駅のすぐそばから地蔵峠への登りに入る。登り始めて間もなく、崖崩れで道が無くなっていた。そのまま急斜面の杉林を直登する。15分で県道へ出る。地蔵峠の少し手前で切り割り道路が出来、登り口はその北側にコンクリートの石段から始まった。
急登にややへばりが来る。先程の道なき道を登ったのがこたえているようだ。花粉症で鼻汁も出る。神尾山の登頂は帰りにして、分岐を右の経塚山へ向かう。いばらや茅が多いが、尾根道の上り下りで足取りも軽快にとばす。伐採地へ出ると粟ヶ岳方面の見晴らしが素晴らしい。伐採地を過ぎると最高地点に達した筈なのに、経塚があるという頂上が見つからない。探しあぐねて、茅の中に潜り込んだらそこが頂上だった。
『納経塚』と読める石柱が1本。展望は無く『納経塚』を背景に写真を一枚撮ると用は済み、下山する。同じ道を神尾山との分岐まで至る。道は神尾山を巻いて鉄塔のある南側の広場へ通じる。神尾山へ登る道が全く見つからない。背丈より高い茅と植林された幼木の間を無理やり登り、立ち枯れた白い2本の木の小さな空地を頂上と決め引き返す。この藪こぎの間にカメラのキャップを落としてしまった。
林道へは15分の下り。林道から農道へと道はつながりスピードを上げて懸命に歩いた。長者ヶ原は置き炬燵の型をした思ったより広い茶畑である。西から時計回りに粟ヶ岳、大尾山、八高山、経塚山、大井川の川向こうに南アルプス、高山、富士山、千葉山と取り囲むように見える。
自宅へ11時50分、予定より10分早く到着した。やや自信が付いた。
費 用 五和駅 → 神尾駅電車賃 160 円
(「ファミリー山行」続く)

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