自分古文書(20)ファミリー山行(13)氷ノ山
2026.11.06
午後、静岡へ行き、駿河古文書会に出席した。
「ファミリー山行」の続きを載せる。今日の氷ノ山(ひょうのせん)は我が故郷の但馬の最高峰で、鳥取県との県境にある。尚、中国地方では「山」を「せん」と呼ぶことが多い。特に高い山は。「大山(だいせん)」はその代表である。氷ノ山の記録は少し長い。
***********************************************************************
ファミリー山行 (13)氷ノ山1、510m
ー 真夏、氷の山に夫婦だけで初登山 ー
月 日 昭和59年8月16日(木)
天 候 晴れ時々霧。
同 行 妻
行 程 豊岡(6:10)マイカー ➡ 福定(駐車場)(7:20)➡ 布滝(7:55)➡
地蔵堂(跡)(8:30)➡ 氷ノ山越(9:25~9:42)➡ こしき岩(10:25)➡
氷ノ山(10:40~11:30)➡(道を間違う)➡ 氷ノ山(12:30)➡(古生沼)➡
千本杉(12:40)➡ 神大ヒュッテ(12:50)➡ 東尾根(13:55)➡
東尾根登山口(14:15 )➡ 福定(駐車場)(15:20)➡ 豊岡(16:50 )
感 想 故郷の最高峰、山陰・山陽では大山(1712)に次ぐ第2の山。昨年登るつもりが台風のため断念した山。今年はどうしても登りたかった山。 長男や子供たちを誘ったが行かないという。長男は行く気があるようだったが、結局不参加。単独行も止むなしと準備しかけたところ、妻が行こうかと言う。思ってもみなかったが、悪い案ではない。子供たちは豊岡の甥たち(長男にはいとこたち)に任せて、初めての夫婦だけの山行を楽しむのも良い。妻は早速準備を始めた。靴は長男用に持参したキャラバンシューズ がピッタリ合った。ザックは豊岡より借り、ズボンは夜、買ってきた。
前日かなりの雨があったが、朝はよい天気になった。前日までの暑さに比べて、早朝のためか秋のような涼しさであった。子供の寝ているうちに家を出る。夫婦だけの外出など何年振りのことであろうか。八鹿から関の宮町福定へ。但馬のこんな山深い所へ来るのも初めてである。福定とその奥の大久保は鉢伏スキー場の麓に位置し、こんな山奥にと思うほどの街並みがある。
福定で地元の人に聞いて、地蔵堂への登山道を行く。林道20分位で登山道になる。沢の右側を登り、間もなく左手に布滝を見る。水量は多くないが、高さ65mあるという。布滝を正面に見ながら小橋を向こう側に渡り、少し戻って左の尾根へ取りつく。急な登山道を登ると、左下木立越しに不動滝が見えた。木立の中の地蔵堂は雪の為か、押しつぶされるように倒壊し、地上に屋根だけが何故か無事に残っていた。単調な山腹の登りを更に1時間ほどで氷ノ山越へ辿り着いた。
氷ノ山越には三角のバンガローのような避難小屋があった。家族6、7人の山登りのグループに会う。「氷ノ山はどこですか?」と聞くので地図を見せて「ここから更に1時間以上かかりますよ」と説明する。無理だと思ったのか、尾根の反対側の赤倉山へ登って行った。氷ノ山越の向こう側は鳥取県若桜町。民宿の多い集落が遙か下に見える。双眼鏡で確認すると道路にベッタリと車が駐車されている。持参のオレンジを食べる。強い風に汗が引いて大変気持ちが良い。
そこからは尾根伝いの登り。前方の氷ノ山は雲が懸かり、流れて、時々明かって顔を出す。時をとらえて双眼鏡で確認すると、山頂には小屋が見えるが人影はない。途中3人の登山者とすれ違う。いよいよ最後の登り、瘤のような『こしき岩』は直登路を避け左に巻き、背丈程のチシマザサの中を一登りすると山頂に出た。
山頂に登山者はいなかった。風が大変強く寒いくらいの気温である。一巡りしてから小屋の北側で風を避け、身を寄せて昼食をとる。今登ってきた氷ノ山越、赤倉山から鉢伏山へと続く尾根が見える。その向こうに日本海まで確認出来た。しかし南側からは低く垂れた雲が次から次へと押し寄せて来て、一面チシマザサの、近くの山並みしか見えなかった。
二人だけの昼食が終わったころ、氷ノ山越の方より二人の若者の登山者があった。これを機に、その場を二人に明渡し下山道に入る。ところが数分も行かないうちに妻が悲鳴を上げた。黒い蛇が登山道にとぐろを巻いていて、踏みつけそうになったのだ。さらに2、30m行くうちに、3匹も同じ様な蛇を見て肝を冷やす。何と蛇の多い山か。 1、500m近い山になぜこんなに蛇がいるのか。このあたりはやや湿っぽくトンボやバッタ、蛙など大変多い。確かに蛇の餌は豊富なのだ。もしかして真夏の間だけ餌の多い山へ避暑に来ているのでもあるまい。
登山道は南へ向い、道は悪くなり、様子が変である。地図を確認するとどうも南の尾根に入り込んでしまったらしい。そうと判れば引き返すしかない。また蛇に出会う恐ろしさを押さえて、笹の棒で地面を叩きながら、笹原の中を山頂に引き返す。幸い蛇には会わなかった。山頂へ戻ると先程の若者達の姿は無く、50代の男性に会う。「東尾根の道はどこか?」と聞くと、「今登って来た所だが、蛇の多い道だよ。」男性は反対に地蔵堂への下山道を聞くので、逆に教える。
山頂からすぐに東へ下る道、こんなしっかりした道をどうして見逃したのだろう。蛇の多い道にやや気後れし、地蔵堂への道を引き返そうかとも話し合ったが、きっと今の男性が追い払った後であろうから、いないだろうと、その道を下山する。古生沼は笹の中で良く確認出来ないうちに通り過ぎてしまった。千本杉を通り神大ヒュッテまでは割合早く来た。蛇にもそんなに出会わなかった。
神大ヒュッテ前には10数人の登山者が食事中で、さらに3人位の人が登ってくる。一人、顔面蒼白な青年がいて、まわりのものが「そこまで行けば昼食だ」と抱え上げるようにして登っていた。当の本人はその場に座り込んでしまい、獣のような叫び声を上げる。異様に感じながら通り過ぎたが、麓に停めてあったマイクロバスから察するに、養護施設の子供たちと、ボランティアの一団であったようだ。
神大ヒュッテから東尾根の避難小屋までの尾根下りが1時間余り、まだかまだかと実に長かった。妻は左のスネが痛いとゆっくり下る。避難小屋から尾根の北側の斜面を下り、林道へ出て登った登山口まで歩く。そこで奇しくも山頂で言葉を交わした中年男性に出会う。神戸から来たという男性は本当は5月の連休に来るつもりが、地元の役場に聞いたところ、今年は残雪が多く無理とのことで、この時期になってしまったと話す。割合優しい山だったとお互いに感想を述べながら帰る。駐車も同じ所にしていた。一人で神戸から車をとばす位だから、我々に輪をかけた山好きのようだ。それにしても、あとに蛇だけが印象に残る山行であった。
費 用 なし
(「ファミリー山行」続く)

コメント
コメントを投稿