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「ほほえみ」の四コマ漫画へ載る

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  「ほほえみ奮戦記」に載る 2025.7. 13 金谷コミュニティ委員会ニュース「ほほえみ」7月号、「ほほえみ奮戦記」という四コマ漫画?のコーナーに、自分が紹介されている。そんな所に紹介される柄ではないが、 金谷郷土史研究会から 、 「竹下村誌稿(解読版)」 を、「ほほえみ」で取り上げてもらいように申し入れをしたのだが、「ほほえみ奮戦記」で扱わしてもらいたいと逆依頼があり、解読者の自分が奮戦記に載せられることになった。 まあ、そういうことでも、 「竹下村誌稿(解読版)」の 宣伝になるならればと、取材を受けた。自分の顔は特徴が無くて、漫画にはしにくいよ、と言い訳しながら、書かれた絵は、よく特徴が捉えられていると、昨日の歴史講座のS講師から言われた。 まだ班内で配られるのは15日頃と思われるので、今朝、夢づくり会館に行って、 「ほほえみ」7月号を頂いてきた。見れば、 気難しそうな顔である。自分は決して気難しい人とは思っていないのだが、端からみれば、そう見えるのかもしれない。(写真の名前の部分だけはぼかしておこう) ちなみに、島田市の広報「しまだ」6月号でも、 「竹下村誌稿(解読版)」を 取り上げるように申し入れたが、そちらは小さな記事で紹介された。 郷土史研の担当は、写真入りで紹介して欲しかったらしいが、まあ地味なニュースだからこんなところだろう。 広報「しまだ」の「竹下村誌稿」紹介記事 「ほほえみ」が旧金谷町の各戸に配られ始めたのだろうか。当「かさぶた残日録」の閲覧カウントが増えはじめた。と言っても、名称を変え、場所を変えたばかりだから、カウント数は一日70件くらい。(20年近く続けた「かさぶた日録」は平均で、その5倍位はあった) まあ、「かさぶた残日録」はできるだけ、こじんまりと、細々と続けていきたいと思っているので不足はない。孫やひ孫たちが、爺ちゃんの生きた一端をのぞき見てくれる、くらいで十分である。(もっとも、これが一番難しいかも)

【活動の記録】と【読了図書】6月27日~7月12日

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  かなや会館横の「かなや公園」 かわいい像と言いたいが 少し薄汚れて、少しきれいにしたいが、 予算がないのかなぁ  2025.7. 12 午後、 「駿遠の考古学と歴史」講座で、 かなや会館へ行く。今日のテーマは「平田寺の聖武天皇勅書と成道寺の百万塔 ー 南都仏教をめぐって ー 」。平田寺は牧之原市のお寺で先日、金谷郷土史研で見学したばかりである。聖武天皇が奈良の12の寺に 出した勅書が、なぜか鎌倉時代に創建された牧之原市の禅寺にあるのか、謎解きめいた話もあった。 また、 孝謙天皇(後の称徳天皇)発願 による木造の百万塔は、奈良の十大寺にそれぞれ10万基づつ配布されたというが、内部に納められた陀羅尼経とともに、その制作過程を想像するに興味深い。轆轤で作られた本体と、木版印刷の陀羅尼経、いずれも百万という数が色々な想像を呼ぶ。  ******************************************  この十日余りの活動と読書を記しておく。  【活動の記録】 6月29日    朝、地区防災訓練。8月末実施を2か月繰り上げる。         暑さを避けるためであったが、もう真夏ほどに暑かった。  7月1日    午後、N氏に同行、島田市博物館文化財係のM主事に会う 7月3日    午前、再び、大庭大助資料展 に行く( 金谷郷土史研究会の行事 )  7月4日     午後、静岡、駿河古文書会に出席。 7月6日     午前、金谷宿大学、みんくるお掃除。   7月8日    お昼、掛川図書館へ「一寸高の役」調べに行く。 7月9日     午後、まきのはら塾、「古文書解読を楽しむ」講師。   7月10日    午後、掛川古文書講座出席。   7月11日    午後、アクア点検。   7月12日     午後、 「駿遠の考古学と歴史」講座出席。  この半月ほどは、 「しまだ市民遺産」、「大庭松風」、「自分古文書」、 「一寸高の役」、「八個の活字」 が、この間の話題であった。   【読了図書】 読書:「新浪人若さま新見...

自分古文書(1)小説「八個の活字」(終り)

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牧之原台地と夏空(自宅より) 2025.7.   11 午後、アクアの一年点検でトヨタのディーラーに行く。車の更新に高年齢者用の、いつでも解約できるローンを勧められた。免許返上などで車が不要になったら、下取りで、以降のローンは支払い不要というシステムである。いよいよそんな年齢になったことを、改めて自覚させられた。 最後に整備士が点検に来たので、暑いのに大変だねぇ、と話す。整備工場には冷房が入っているという。局所冷房ではなしに、全体の冷房だという。そういう時代なんだと思う。 以下、「八個の活字 」の最終を掲載する。    ***********************************        八個の活字 (終り)    たった二畳の部屋だった。天井は低くベットが部屋の半分を占めて居た。ベットの上には灰色の毛布が一枚有るだけだった。他にこの部屋に有る物といえば、彼が着ている『8番』という番号のついたよれよれの衣服と、彼の履いている赤いスリッパだけだった。しかし彼は幸福だった。この部屋は彼の天国だった。彼は毎日尋問される時以外はこの天国で暮らせた。彼は天国の王様であった。彼は今まで敵国の暗殺者にしばしば殺されかけた。その頃は一人で防衛しなければならなかった。しかし今は違う。窓の鉄格子、窓の外の高い塀、ドアの鍵、それらはすべて彼の近衛兵であった。流石の名暗殺者達もそれを突破することは出来なかった。その上王様には食事係まで付いていた。三度三度きっちりと食事係は食事を運んで来た。幾日か幸福な日が続いた。しかもその幸福が至福と成った時、その余りの膨張のために、一瞬の内にそれ自ら打ち壊れてしまった。ある日、突如不吉な足音が静かに正確に彼の部屋に近づいて来た。それは彼の天国でピタリと止まった。次の瞬間、金属音と共に掛け金が外された。彼は自分の至福が開けられたドアの隙間から漏れ出てしまうのをどうする事も出来なかった。  白い部屋だった。今度は一人ではなかった。一人の仲間が居た。暗殺者とは本質的に異なった真実の仲間だった。それは最もまともな人間であった。いや、彼にはそう思えたと言った方が正確かも知れない。仲間は彼の言う事を良く聞いた。執拗に彼に服従した。彼は以前の幸福を取り戻したかに見えた。しかし...

自分古文書(1)小説「八個の活字」(続き)

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庭のデュランタ・タカラヅカに寄る黒いハナバチ タイワンタケクマバチ(外来種)? ちょっとピンボケ、はっきりしないが  2025.7.   10   午後、掛川図書館の古文書講座へ出席する。暑い。車の外の気温は、車内の表示で36℃を指していた。とにかく雨が欲しいこの頃である。  「八個の活字」の続きを載せる。もう一回つづく。   ***********************************     八個の活字 (続き)   階段まで来た時、恐怖は殆ど消滅していた。しかし踊り場まで上った時、不意に第四の恐怖の妄想が彼を訪れて来た。  (火事!火事だ。火事が起こったらどうなるのか)眼前に火に巻かれている自分の幻影が往来した。それと同時にこの妄想は将来の定められた運命となったかの如くに感じられた。  (五階の食堂だ。火が出るのはあそこしかない。すると逃げ口を塞がれてしまうではないか)彼の脳髄はなるほど狂っている。けれどもそれは部分的にである。彼にはまだ論理的な思考力が残っていた。足はそれを証明するかの如く、非常階段へ通じるドアへと向かっていた。そのドアはいつも朝係員が開けることになって居た。ところが今日は閉まって居た。彼はわざわざ鍵を借り戸を開けた。非常階段は遙か下に向かって稲妻の如く落ちて居た。  まだであった。彼は待っていた。一時間、二時間、三時間、何も無かった。四時間程経ち、少しばかり退屈になり始めて来た時だった。外が騒ついてきたのだ。待って居ましたとばかりに、彼は事務所から飛び出し非常階段を駆け降りた。速かった。実に速かった。地面に達するまでに二分とかからなかった。狂人ならではの速さであった。一息に下まで降り上を見上げた。火事はどこに? 煙は煙草の煙さえも出て居なかった。その代わりとでも言おうか。ビルの横にポッカリ開いた穴から仕事を終えた老若男女が疲れた身体を足に表してぞろぞろと行進して来た。  彼は事務所へは帰らずタクシーを拾った。しかしそのタクシーが彼のあらゆる運命を一本にまとめ、悪魔の行路に向けたのを知る由も無かった。  「旦那どちらへ」「いや、暫くスピードを出して走らせてくれ」こんな会話の後、暫く沈黙が保持された。タクシーは右手に川を見ながらアスファルト道路を静かに進行し...

講座の雑談で楽しむ

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茶畑の中の向日葵畑 牧之原の茶園の中にどうしてヒマワリが?  2025.7.   9 午後、酷暑の中、まきのはら塾「古文書解読を楽しむ」講座で、榛原文化センターへ行った。少し早く着いたので、センターと図書館を兼ねた受付で、講座の部屋の鍵を借り、遠隔で部屋の冷房のスイッチを入れてもらい、部屋の冷房が効くまで、そこで無駄話をした。「熱いねえ、ここはクーリングシェルターになっているのかなぁ」そばのクーリングシェルターの幟を示された。「なるほど。他の図書館で、夏にはいつ行っても居るおじさんがいるけど、あれは涼みに来ているのだねぇ」冷たいお茶をどうぞと言われた。エントランスに冷えた緑茶をサービスする機器が設置されていた。いかにも、お茶どころらしいサービスである。 熱中症には水分補給も大事なことである。かつて、ある図書館の隅で、持参したポットからお茶を飲もうとしたら、「飲み物をのむのはご遠慮ください」と言われたことがあった。この頃、同じ図書館に行ったら、台がしつらえてあって、「飲み物をのむ場所」と表示されていた。異常な暑さで、図書館の、設備もルールも、色々変わっていくようだ。しかし冷たい緑茶は嬉しいサービスである。帰りに高校生が5、6人いて、紙コップでお茶を飲んでいた。 2時間の講座が終わって、「二番茶が高いようだね、昨年の倍ぐらいする」と一人が発言し、一時、受講者の間でお茶談義となった。 輸出など碾茶が増えて、特に鹿児島から来る二番茶が減ってしまった。そこへ来て、鹿児島などでは、紅茶の生産も増えているらしい。インドなど紅茶の生産国で、紅茶を飲む人が増えて、世界に回る量が減ったのだろう。品薄の二段茶は、主にペットボトル用のお茶で、そんなこんなで、静岡の二番茶の茶価が上がったのだろう。 いつから急須で飲む煎茶は減ってしまったのだろう。静岡県では東日本大震災以降、東北地方の需要が激減して、元には戻らなかった。特に仙台など大きな需要があったのだが。 いろんな話が交差して、さすが茶どころである。自分が茶業界から離れて、年金生活に入っての十数年、茶業界も大きく変わってしまったようだ。「ここはお茶の講座じゃないから、話はこの辺までにしましょう」と講座の解散を促した。 こんな雑談が出来たことが、今日の大きな収穫である。 

自分古文書(1)小説「八個の活字」

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  暑いねぇ、金次郎さん! 今日、掛川市中央図書館前 2025.7.   8 お昼、掛川図書館に行く。展示中の「大庭家文書」の内、 「一寸高の役」の文書2通を、今月の「面白古文書」取り上げようと、 「一寸高の役」の意味を 調べにいった。展示場に大庭氏もいらっしゃり、話を聞くが、わからない。館内で参考資料を見たけれども、解らなかった。この文書については、後日、このブログでも取り上げようと思う。 いよいよ「自分古文書」を始める。60年前のもので、色々問題もあるかもしれないが、ここでは、「てにをは」まで一切触らないことにする。何しろ古文書なのだから。さあ、始めよう。  ***********************************   八個の活字             まえがき  春の或る日だった。私は江戸川乱歩の『蟲』を読んだ。それはある変質者が殺人を犯す物語であった。その 変質者が私にこの小説を書かせたと言ってよい。書き出したら止まらなかった。五日位の間で書き終えてしまった。読み返すと無理に難しい言葉や漢字を使っている場所が多く、筋も大したことはない。しかしこれは私の作品の第一作目であるから仕方あるまい。ヒントとなったのは『鶴見の二重衝突事故』であった。ある平凡な男が、あるきっかけで気が狂い、そのため8人の人間の命が奪われるという筋である。これを私は悪い事ばかりを取り上げるマスコミに対するわずかながらの批判のつもりで書いたのだが、読み直してみてもどうもピンと来ない。これも第一作目なのだから無理も言えない。       昭和 39 年8月某日             自宅にて      細長い箱。それが一つ、二つ、三つ、‥‥‥ ‥‥ 、全部で八個連なっている。芋虫。そ うそれは芋虫。いや芋虫とは一つの相違を発見出来る。速い! しかし止まった?  穴。人が入る。間断無く次から次へと吸い込まれる。穴の中は雑踏。人人人‥ ‥‥ 、 ある衛星都市のターミナルの朝のラッシュアワー。止まった芋虫は人類運搬車。乗 り込む人、割り込む人、押し込む人、人と人との間にはわずかな空間さえも認知し 難い。無関係な手と手が無関心に絡み合っている。無関係な背と背が密...

「自分古文書」の発掘

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酷暑に鳩が鳴いた 見上げると電線にキジバトがいる 暑くないのか!  2025.7.   7 「かさぶた残日録」に切り替えるに当たって、古文書の解読を載せて、ブログを埋めるのはやめようと思った。決して古文書解読を辞めると考えたわけではなく、まだ日々古文書の解読は行っている。 この頃、古い書き物を整理していて、高校から大学時代に、自分が書いた「小説」類を見つけた。 人生80年近くも生き延びてくると、自分の若かりし頃に書いたものは、私にとって、それはもう古文書以外の何物でもない。それを 残日録に載せてみようかと思った。その前に、書いた時代背景や当時の心境などを思い出して、解題のように書く。「自分古文書」の発掘も、残日録の一つの役割かもしれない。 今から60年前、高校の頃、文壇には、谷崎潤一郎、川端康成、井上靖、大岡昇平、安岡章太郎、遠藤周作、等々、綺羅星のごとく輝いており、若手にも、三島由紀夫、大江健三郎、石原慎太郎、安部公房、開高健など、錚々たる文学青年を輩出していた。高校生の理科系進学クラスの中でも、ひそかに自分の愛読の作家を持っていた者がいた。その内、大江健三郎を愛読するY君と競うように、自分は三島由紀夫を愛読した。三島由紀夫の独特な比喩に魅了されていた。 子供のころ、江戸川乱歩の子供向けの「少年探偵団」シリーズを何冊も読んで育っていたので、乱歩の大人向けの小説も当時読んでいたのだろう。触発されて、人生初めて、小説なるものを書いた。発表など思いもよらない稚拙な小説「八個の活字」が生まれた。 子供の頃、親父は幼馴染から郊外に畑を借りて、日曜百姓に励んでいた。自分もよく畑に連れて行かれて、どこまで役に立ったか、手伝いをした。すぐそばに総合病院の精神病棟があり、鉄格子の向こうから偶に「おじさん」などと、声が掛かることがあった。親父は構うなと、無視するように言った。どういう人たちが入っているのだろうと、想像することはあった。 そんな経験がこんな小説を書かせたのかもしれない。(次回、紹介する)