自分古文書(6)「奇壁」7
昔の渡し舟 (ネットより写真拝借) 玄武洞の渡し舟ではない 2025.9.1 「奇壁」の以前に、玄武洞の写真のような渡し舟には乗ったことがあったのだろうか。確か竿で舟を進めていたように記憶する。ならば乗ったことがあったのか。玄武洞には何回か行ったことがある。しかし、対岸を通れば渡し舟は利用しない。かくも、人の記憶などはあてにならない。書き残したものだけが確かである。 「奇壁」を続けよう。 ****************************************************** 店前まで出ると、外はいよいよ暑さを増してアスファルト道路は今にも沸騰しそうであった。靴べらを使っている仙作の背に向かって爺さんは言った。 「娘に案内させますしけいに、ちょっと待っとくれんせぇ。案内するほどひれぇところでもねぇけど、一人で行きんさるよりはえゝだろうしけいに」 「どうも重ね重ねあいすいません」 仙作は爺さんの気質が良く解ってきたので拒まなかった。 「なぁになぁに。富久!富久はおらんか!」 廊下をぎしぎしいわせながら早足でやって来た富久子は戯けて暖簾から首だけをぴょこんと突き出した。 「なんでぇな。お父ちゃん」 「学生さんを玄武洞に案内したげんせぇ」 「でも‥‥‥」 「デモもストもねぇ。今から向こう岸へ渡りんさるそうだしけぇに、えゝか」 富久子は可憐に赤らめた顔を下げて頷いた。 富久子の案内で例の細道を通って渡し場へ出た。渡し舟は見えなかった。 「ちいと間、待っとったら、こっちに来るしけいに」 「舟は何艘あるの?」 「二艘。でも今日は一艘だけみたいだわ」 二人の立っているところはコンクリートの小さな桟橋だった。仙作は足元に眼を落とした。垂直なコンクリートの壁にひたひたと小波が押し寄せて来る。水際まで青い水草がコンクリートにこびりついている。そこではすでに人工物が自然の攻勢に退却を始めているのだ。仙作は自然に対して声援を送りたい気持になった。 「魚がおるわ。ほらあそこにようけぇ」 富久子の指差す方向を見ると黒い魚が沢山動いている。たまに白く光るのは魚の腹であろう。仙作は小石を拾い群れの中に投げ入れた。魚の群れは一瞬...