生保の担当が定期チェックに見えて
6月25日夕方、御近所の田んぼ 今はさらに緑を増しているだろう 頑張って安いお米になれ! 今日もマーケットで、5Kg、4,580円の 静岡コシヒカリを買ってきた 2025.6.30 お昼、生保の担当(おばちゃん)が定期的な内容チェックに見えて、少し話をした。 生保に入ったのはもう50年以上前のことで、会社の社員の奥さんが生保の外交員で、社員寮に勧誘に見えて入った。もう50年以上前のことだ。以来、幸いと、保険金を貰うような死亡も入院もなくて、今日まで過ごせて来た。老後の保険も勧誘を受けるが、もう保険はいいかというのが、今の思いであると話した。50年まえの担当は何という人だったか、今の人はしらないでしょうね。 それならFさんでしょう。その後、地区長までされた方で、生きていらっしゃれば100何歳かになられるけれど、亡くなられたはず。 覚えられているなら、伝説の保険外交員ですね。 Fさんは、よく社員寮に、お菓子など頂いたと覚えている。そこまでされると、寮生も加入しないわけには行かない。商売上手の保険外交員だった。 その担当はお茶の生産にも少し関りがあって、静岡茶が鹿児島茶に追い抜かれた話になった。 静岡のお茶が衰退し始めたのは、まだ現役の頃、お茶の過剰な肥料が池などに入って、環境を破壊しているという環境省からの指摘があって、試験場が、肥料は半分にしても、お茶の葉の生育に何ら影響はないと、お茶の肥料の半減を厳守させるべく指導をした。 確かに肥料を半減しても、生産量に影響はなかったかもしれないが、茶の木は野菜と違って、一年で終わりではない。何年か経つ間に、茶の木は貯めこんでいた養分を使い果たし、いつの間にか、新茶シーズンの新芽の勢いは失われてしまった。あの頃、この頃はお茶が美味しくなくなったというお茶問屋さんの話を聞いたことがある。 その上、誰よりもよいお茶を目指していた生産者の意欲も失われて、生産者の高齢化も伴い、静岡のお茶は鹿児島に抜かれるようになってしまった。もっと早く抜かれるかと思っていたが、よく堪えた方だと思う。 そんな持論を、ついつい話していた。